貞享4年(1687年)、芭蕉44歳、旧暦10月25日(新暦11月)に深川を出立、
鳴海〜熱田〜伊良湖〜鳴海〜熱田〜名古屋〜伊賀〜伊勢〜伊賀〜吉野〜
奈良〜高野〜和歌山〜大阪〜須磨〜明石〜布引〜高槻〜京都を経て大津に
至る1500キロの旅、その足跡をたどって描いた「笈の小文スケッチ紀行」を紹介いたします。
百骸九窮(ひゃくがいきうけう)の中に物有(ものあり)。かりに名付て風羅坊(ふうらばう)といふ。
誠にうすもののかぜに破れやすからん事をいふにやあらむ。かれ狂句を好こと久し。
終に生涯のはかりごととなす。(中略)
しばらく身を立む事をねがえども、(中略)つゐに無能無藝にして只(ただ)此(この)一筋に繋がる。
西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の繪における、利休が茶における、
其(その)貫道(くわんだう)する物は一なり。(中略)
神無月の初、空定めなきけしき、身は風葉の行末なき心地して、
「旅人と 我名よばれん 初しぐれ」 又、山茶花(さざんか)を宿々にして