「春雨の こしたにつたふ 清水哉」

旅の思い出:   吉野山とくれば奥千本にある「西行庵」と「苔清水」、西行が30年間暮らした山奥の櫻を

          めでたいものです。

           芭蕉もそうした気持ちでここまでやってきたのでしょう。 櫻はまだ早すぎたようですが、

          苔清水の水は清く神聖で、芭蕉の心を捉えたことでしょう。

           私も西行のいた約900年前のこの大自然を思い浮かべながら、苔清水を描きました。

           描き終えて、夕方下山する折に、早くも中千本の山櫻が散っていくのを見て、心のむな

          しさを感じて一句浮かびました。

                        そら
              「ほころびて 心空なる 山櫻」


           さんざん桜を堪能させてもらった吉野を出て帰路につく折に、吉野の山の端に出た月に

          別れを告げて、

              「吉野山 櫻の園に 浮かぶ月」




          
          

自作の句

ほころびて 

心空なる 

山桜

俳句の意味:  このとくとくの清水は、春雨のしずくが集まって木々の下を伝わってきたもので

         あろう。なんと清き清水であろうか
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吉野山 苔清水

吉野山 

桜の園に 

浮かぶ月

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