貞享4年(1687年)、芭蕉44歳、旧暦10月25日(新暦
11月)に深川を出立、鳴海〜熱田〜伊良湖〜鳴海〜
熱田〜名古屋〜伊賀〜伊勢〜伊賀〜吉野〜奈良〜
高野〜和歌山〜大阪〜須磨〜明石〜布引〜高槻〜
京都を経て大津に至る1500キロの旅、その足跡をたど
って描いた「笈の小文スケッチ紀行」を紹介いたします。
元禄2年(1689年)、芭蕉が46歳、旧暦3月27日(新暦5月16日)に深川から船で
出立、日光〜白河関〜仙台〜松島〜平泉〜尾花沢〜出羽3山〜酒田〜象潟〜
新潟〜金澤〜敦賀を経て大垣に至る2400キロの旅、その足跡をたどって描いた
「奥の細道スケッチ紀行」を紹介します。
芭蕉スケッチ紀行へようこそ
芭蕉は、41〜46歳の間に、上述の通り5回の紀行を行っています。
その後、奥の細道を綿密に推敲した後、元禄7年に大阪に出て再び西国へ向
けて出立しようとした矢先に10月大阪で病に倒れこの世を去りました。
芭蕉は以前から弟子達に「長崎」へ行きたいともらしており、亡くなる直前まで
天橋立から長崎へ向い、彦山、不知火、霧島そして薩摩潟へ行く予定を立てて
いました。
その旨を、弟子の去来や北枝に伝えた書簡が残っています。
ここでは、恐れ多くも芭蕉に成り代わり、「長崎西国紀行(西の奥の細道)」を計
画し、元禄7年旧暦10月12日(新暦平成18年11月11日)に大津の義仲寺を出
発、中国、九州、四国を巡って、平成19年5月に明石まで戻る「幻の長崎西国紀
行(西の奥の細道)」を紹介いたします。
貞享元年(1684年)、芭蕉41歳、旧暦8月中旬(新暦
9月下旬)に、深川を出立、箱根〜富士川〜大井川〜
小夜の中山〜伊勢〜伊賀〜吉野〜不破の関〜大垣
〜桑名〜熱田〜伊賀で越年〜奈良〜京都〜大津〜
水口〜名古屋〜甲府を経て江戸へ戻る2200キロの旅、
その足跡をたどって描いた「野ざらしスケッチ紀行」を紹
介致します。
貞享4年(1687年)、芭蕉44歳、旧暦8月14日(新暦
9月6日)に深川を出立、行徳〜鎌ヶ谷〜我孫子〜鹿島
〜潮来を経て江戸に戻る300キロの旅、その足跡をたど
って描いた「鹿島スケッチ紀行」を紹介致します。
貞享5年(1688年)、芭蕉45歳、旧暦8月11日(新暦9月)
に美濃を出立、馬籠〜木曾福島〜姥捨山〜善光寺〜小諸
〜軽井沢を経て江戸へ戻る350キロの旅、その足跡をたど
って描いた「更科スケッチ紀行」を紹介致します。