そぞろ神、そぞろそぞろにうち騒ぎて、心の赴くまま初時雨とともに旅立ち、
さんせんそうぼく
われ狂画を好みて山海に座す。山川草木、我が命共に流れんと心澄まして万物を
見る時、心一つになりて一画が生まれる。その中に心を描きて詩となさん。
さいとあん
深川清澄通りにある採茶庵跡にて、初時雨に芭蕉の旅立つ後姿を見つけて
「さびしとて 旅へ誘う 初しぐれ」
「芭蕉忌に 旅立つ先は 伊良湖崎」
芭蕉の後をたどって、ようやく星崎に到着して
「星崎の 千鳥見んとや 海はなし」
鳴海にて、温かな人情に触れて
「鳴海にて 千鳥の心 あたたかき」
闇夜に潮騒の音のみがかすかに聞こえてくる伊良湖岬に一泊して
「潮騒の 闇を聞いてか 渡り鳥」
伊良湖にて、坂を上りつつ早朝の月を見た折
「松影に 潮風わたる 朝の月」
伊良湖岬の海を眺めつつ、遠く鷹の舞う空を見上げて
「一人旅 空高く舞う 鷹一つ」
「荒波の 逆巻く空に 鷹の声」
つわぶき
石蕗の黄色い花が、青い空と海に向かって咲いているのを見つけて
「石蕗や 色のしみ入る 伊良湖崎」
昔から神は大樹を伝わって降りてくるというその老木がそびえ立つ熱田神宮
の神殿で、大太鼓の音が鳴り響くのを聞いて
「神宿す 大樹に告げる 冬太鼓」
年末に雪雲の下体の芯まで冷え切って、人影の少ない箱根の関跡を描きつつ
「年の瀬に 人のこいしや 箱根越え」
箱根の茶屋にて、客一人、熱い餅うどんを食べながら、店の主人が呼ぶ客寄せの声をきいて
「餅うどん 呼び声むなし 箱根茶屋」
東海道佐屋付近の津島神社にて、霙のような冷たい雨にさらされて
「風吹きて 雨に泣きたや 年の暮」
東海道五十三次の四十七番目の宿場「関宿」にて
「冬鹿の 刺身うれしや 関の宿」
年の暮れに芭蕉の生家を訪ねた折に冷たい雪に見舞われて
「古里や 芭蕉生家は 雪の中」
正月元旦に雪の中で俳聖殿を描き、雪の白さに心洗われ、指の先まで冷え
切った体の中で心静かに燃え立つものを感じて
「雪に見る 今日の心の 新しき」
正月二日に、「ぬかりわせじな」と歌った芭蕉の句を思い出しながら、初詣
に芭蕉も訪れたと思われる上野天神宮を描きつつ
「初詣 芭蕉おるよな 人の声」
その後に芭蕉の湯につかり、湯船の中でゆっくりと琴の音を聞いて
「正月や 琴の音ゆかし 湯のけむり」
正月三日に、伊賀上野の野山を描きつつ
「三日には 若菜のきざし 野辺の山」
三が日連続で温泉「さるびの」、「芭蕉の湯」に浸かって
「三が日 さるびの、芭蕉の 湯ざんまい」
正月四日に、蓑虫庵を訪れて
「初春や 蓑虫の音を 訪ねおり」
名古屋の白鳥庭園で、凍てつくような冷たい池もなんのその、元気に飛び回る
都鳥(ゆりかもめ)のたくましさに見とれて
「寒水に 群れて飛び交う ゆりかもめ」
同じく白鳥庭園で、梅の若芽をしりえにピンクと緑の妖艶な色合いで咲いている
ボケの花の美しさに惹かれて
「色気なら 梅に勝ちたる ボケの花」
日本庭園の滝を描きつつ、そこに落ちる冷たい水泡をじっと見つめ、柿本人麿
がおのれの命のはかなさを巻向の水泡に例えた歌を思い出して
「滝つぼに 落つる水泡の 寒さかな」
名古屋の白鳥庭園を再び訪ねた折、咲いた梅の花が冷たい雨にさらされて、軒端
に落ちる雨音だけが静かに心に響くのを感じて
「静けさや 軒に梅見る 雨しずく」
三月半ば早朝、東の空がうっすらと明け始めたころ、由井が浜より富士を望みて
「春浅く 東は富士の あさぼらけ」
伊豆の海から朝日が顔をのぞかせ、大井川が金色の帯のように輝くのを見て
「金色の 春が染み入る 大井川」
浜名湖の上空に春の日差しが輝き、とんびが群がって旋回する向こうに、大きな
白い雲が広がるのを見て
「春陽上がり とんびの群れに 白い雲」
伊賀の新大仏寺に吹きつける凍り付くような風に身震いしつつ
「仏寺や 春待つ山に 氷風」
新大仏寺に泊めていただき、温かい汁をご馳走になって、大きな器に突っ込んだ
顔全体に蕗の薹の山の香りが広がるのを味わいつつ
「寺に寝て 汁に香るや 蕗の薹」
伊勢路を越えて伊勢に入り、神宮の外宮の駐車場で明けやらぬ朝を迎えて
「黎明や 春のきざしか 時の声」
伊勢神宮の内宮は春の小雨に煙り、神楽殿の裏庭に咲く一もとの梅の花が、大津皇子
と別れた大伯皇女(おうくこうじょ)の涙を誘うのを思い浮かべて
「立ち濡れし 大伯皇女よ 梅の花」
伊勢の大江寺(だいこうじ)の門前で絵を描きつつ、お彼岸の準備にあわただしい
人々の姿を眺めつつ
「寺描きて 彼岸暮れゆく 浮世かな」
伊勢神宮の裏山「菩提山」に入り、石標だけが残る神宮寺跡を尋ねて
「藪つばき 山よりほかに 人もなし」
人影が少なくなった伊勢市駐車場に車中泊し、満天の星空と梢に宿り煌々と照る月を
見て
「草枕 木の間に宿す 春の月」
四月九日、伊賀上野の上野城で満開の桜を描きつつ、人出の多さに驚きつつ
「上野城 とりわけ人の 花盛り」
様々園を尋ね、門前払いを喰い、仕方なく隣の料亭の庭から見事な枝垂れ桜を描きて
かど
「門に泣く 人様々の 桜哉」
長谷寺の夕刻八時、修行僧の大声が夜空に響くのを聞いて
はつせ
「春の夜に 初瀬に響く 僧の声」
四月十二日、一日中雨が降り、明日香村の民家で鶯の声を聞きながら裏山をスケッチ
した折
「鳴きやまぬ 雨にうぐいす 飛鳥村」
多武峰(とうのみね)の山肌を冷たい風が渡り、桜の花が一、二輪芽を吹いて、
つくしんぼうがブルルンと震えるのを見て
「多武峰 風に震える つくし哉」
龍門の滝にて、昔の面影そのままに大自然の若葉と水の清らかさが私の心を
満たすのを感じて
「若草の 龍門ゆかし 水の音」
西河にある蜻蛉(せいれい)の滝にて、山吹も桜もなく、岩間に吸い込まれる
ように落ちていく水を眺めつつ、ちょうど持ち合わせた桜餅にほのかな櫻の香り
を感じて
みなわ
「蜻蛉の 水泡わびしや 桜餅」
四月十五日、全山満開の吉野山にて
「全山に 人の花咲く 吉野山」
その夜、吉野の山奥で車中泊した折、西行法師のお姿を見たような気がして
「山に寝て 法師の夢に 散る桜」
夕方、吉野の檜(ひば)の木にかかる夕影を描きつつ
「うぐいすの 友呼ぶ声や 夕間暮れ」
翌日、早くも吉野の山桜が散っていくのを見て
そら
「ほころびて 心空なる 山桜」
夕刻、吉野の山の端に出た月を見て
「吉野山 桜の園に 浮かぶ月」
四月十七日、帰路明け方近く、日が昇る前に富士市を通過して
「春霞 青富士空に 浮かびけり」
四月二十七日、再び飛鳥へ向けて出発し、朝四時に東名高速に入り、
西の空に月を見た折、芭蕉が西行の足跡をたどったように「西方浄土」
へ向う気がして
「行く春や 月は西方 浄土かな」
朝日が昇る前に足柄山付近を通過して
「朝ぼらけ 夏待つ富士の ねむり哉」
この日は夕刻近くまで、芭蕉の「くたびれて 宿借る頃や 藤の花」で知られる
八木町の「札の辻」をスケッチした後奈良へ向いました。
翌朝五時、奈良公園の藤棚に月がかかるのを見て
「古の 有明の月 藤の花」
奈良公園の鹿の群れを見て、家においてきた妻のことを思って
「若草を 食んでやすらう 夫婦鹿」
ひとことぬしのかみ
葛城山の若葉が目鼻となって、昼間は顔を見せない「一言主神」の
顔を見た思いがして、
「顔見せる 葛城山の 若葉かな」
高野山の金剛峰寺に咲く芍薬の花の気品と、多くの天下人がねむる
墓地を訪ねて
「芍薬や 高野にねむる 天下人」
和歌の浦にて、聖武天皇と山部赤人が登ったという玉津島神社裏の
「てんぐ山」から、潮干狩りをしている人たちを遠望して
たづ
「潮干狩り 鶴の鳴き声 聞こえんか」
唐招提寺にて、鑑真和尚のふるさと(中国の揚州)の名花を前にして
美しい揚州の景色を思い浮かべて
「いにしへの 花の咲きたる 故郷かな」
五月一日雨の日、大阪の了徳院にて、人影のように見える奇岩の芭蕉
句碑を見て
「花の雨 奇岩に句碑を 刻みけり」
明石市の江井ヶ島港で、蛸漁はまだ一ヶ月先だと聞いて、月もない岸
壁に雑然と置かれた蛸壺を見て、
「壷あれど 月なし浜の 初夏の夢」
「一の谷」に下る「坂落し」を描きつつ、海岸線を走る電車の音と同じ方
向から鶯の声が聞こえてくるのを知って
「うぐいすの 鳴きたる方や 汽車の音」
須磨の初夏は新緑に萌え、明るく照り輝く明石の海を見つめて
「関守の 悲しさはなし 須磨の夏」
鉢伏山の若葉が初々しく、その若葉が遠く明石大橋を渡って淡路島に伝
わっていくような気がして
「鉢伏や 淡路に渡る 若葉かな」
須磨寺にある平敦盛の首塚を囲む新緑の前で、敦盛が吹く「青葉の笛」
の音が聞こえてくるような気がして
「新緑に 笛の音悲し 首の塚」
「笈の小文スケッチ紀行」を終えて、須磨を出立する折、有明の須磨の月
に別れを告げて
「有明の 須磨に残りし 夏の月」
笈の小文スケッチ紀行中に私が創作した俳句を紹介します