旅の思い出:   芭蕉は源氏びいきだそうですが、おそらく義経が馬で降りたという「逆落し」の場所を見

         たに違いないと思い、朝5時に起きて、5時半から約2時間探しまわりました。

           前日に役場へ行って「逆落し」は鉄拐山(てっかいざん)と鉢伏山(はちぶせやま)の谷

         間にあると聞いていたので、最初は、車で山の周りをぐるぐる回りましたが車で登れそうな

         ところがみつからず、犬を連れて朝の散歩をしている方にお尋ねしたところ、歩いて登るし

         かないとのことでした。

           そこで、車を留めておけるところを探し、鉄拐山の東側にある「一の谷橋」というところか

         ら絵の道具と折りたたみ式の椅子を持って山に入りました。

           まず、30分かけて鉄拐山の頂上へ登り、そこから20分ほどして隣の山の鉢伏山との谷

         間にある「逆落し」に到着しました。ここが「笈の小文」に出てくる「鐘懸松」だと確信しました。

           そこは道が狭く階段で座れないため約10時間立ちっぱなしで、この絵を描きました。

           昔、この谷の下に平家がいて、義経は「鹿が通る道ならば、馬でも通れるはずだ。」とい

         って馬で山越えをし、この獣道のような急坂を降りて行ったそうです。

           左上の砂浜が有名な須磨浦で、近くに源氏物語の光源氏が一時幽閉されていた現光

         寺や、「淡路島 渡る千鳥の鳴く声に 幾夜目覚めぬ 須磨の関守」という歌で有名な須

         磨の関跡があります。

          描いている間中、谷の下のほうから鶯の鳴き声と電車の音が聞こえてきて、まことにの

         どかな所です。そこで一句、

              「うぐいすの 鳴きたる方や 汽車の音」

          須磨の初夏は新緑に萌え、明るく照り輝く青い海が眼前に広がっています。

          須磨の秋は寂しいのでしょうが、そこには昔歌に歌われた寂しさはなく、のどかで気候
     
         のよい須磨がありました。 そこで一句、

              「関守の 悲しさはなし 須磨の夏」






          


「月あれど 留守のやうなり 須磨の夏」

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俳句の意味: 月は出ているけれど、須磨の夏はまるで主人のいない留守に訪ねてきたような物足り

        ない気分にさせるものだ。やはり須磨は秋に限るのかなあ。
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自作の句

うぐいすの

鳴きたる方や

汽車の音

須磨浦 一の谷

関守の

悲しさはなし

須磨の夏

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