「神垣や おもひもかけず ねはんぞう」
俳句の意味: 伊勢神宮は、当時仏教との関わりを嫌っており、坊主姿の芭蕉は神域に入れてもらえな
かったほどである。 それなのに、なんとこんなところに仏の涅槃像があるとはと驚いた様子
を歌ったものです。
旅の思い出: ちょうど芭蕉が伊勢に行った時は、旧暦の二月十五日で、涅槃会(ねはんえ)に当たります。
涅槃会はお釈迦様が亡くなられて入滅した日で、芭蕉が慕った西行もこの日になくなっています。
西行には有名な和歌があります。事前にこの日に死にたいと次の歌を歌い、そのとおりに旧暦の
二月十五日になくなっています。
「願わくば 花の下にて 春死なん この如月の 望月の頃」
当時、「光明寺のひとつ鐘」といって、伊勢に唯一鐘楼のあった光明寺で涅槃会が行われたと聞き、
その鐘楼を描いてきました。
この寺には、南北朝時代に後醍醐天皇の皇子である義良親王(のりながしんのう)につき、北畠
親房親子とともに戦い惨敗した結城宗広の立派な墓があります。
その夜は、伊勢市の駐車場で一夜を明かし翌朝、鳥羽を抜けてフェリーで伊良湖に渡り、一路東海
道を上って帰路に着きました。
その夜は満天の星空で、梢に宿る月が煌々と照っていました。そこで一句
「草枕 木の間に宿す 春の月」
草枕
木の間に宿す
春の月