ところぼり
「此山の かなしさ告よ 野老掘」

俳句の意味:  神宮寺は、行基の開いた寺と言い伝えられており、芭蕉が訪れたころにはすでに荒れ

         果て、山野にかわっていたようで、その見る影もない悲しさを野老堀(ところぼり)すなわち、

         自然薯(山芋)掘りになぞらえて往時をしのんだ歌である。
   

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旅の思い出:  神宮寺跡のこの場所を見つけるのにかなり苦労をしました。なにせ、地元の伊勢の人も

        この場所をほとんどご存知ないようで、菩提山(ぼだいせん)という山は現在なく、ようやく

        現在の朝熊岳(あさまだけ)であることがわかりました。

          その朝熊岳のどこに神宮寺跡があるのか分かりませんでした。

          神宮寺は、伊勢神宮の鬼門にある寺で神宮をお守りするための寺と聞いていました。

          そこで、朝熊岳の頂上付近にある「金剛證寺」も神宮を守るために、鬼門の位置に立てた寺

        であると聞き、初めはこの寺と勘違いしていました。

          ところが、旅行案内を見るとあまりにもきらびやかな寺であるため、再度観光協会へ行って

        しつこくお聞きしたところ、神宮寺跡がある場所が朝熊岳の麓にあることがわかりました。

          この神宮寺跡を示す石碑自体は山の麓の入り口にありましたが、神宮寺跡がないものかと

        山の中に入って行きましたところ、途中で道がわからなくなるような恐れを感じて戻ってきました。

          この石碑のある場所には藪ツバキが咲いており、自然薯も探せばたくさんありそうでした。

          全く、人が尋ねた痕もなく、大自然の息吹を感じつつ絵を描きました。そこで一句

              「藪つばき 山よりほかに 人はなし」





           

菩提山(朝熊岳) 神宮寺跡
自作の句

藪つばき
 山よりほかに
 人もなし
 

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