ヴェルレーヌは、1844年に生まれ、1896年、51歳で亡くなりました。
彼の詩の特徴は音楽性にあり、フランス語の特性を最大限に生かし、脈打つリズムとメロディが聞こえてくる
ようです。
多彩に韻を踏んだ詩の中に、絶唱とされる作品を多く残しましたが、その一方で、彼の人生は破滅的でした。
彼の一生には、酒、女、同性愛、反逆、背徳が混在し、晩年にはデカダンスの教祖と仰がれました。
ヴェルレーヌは詩人としては優れていたが、一人の人間としては貧しい人生を送りました。
それは少年時代から見られた甘ったれた性格と同性愛の性向に起因するようです。
アルチュール・ランボーとの共同生活はあまりにも有名で、25歳の時にマチルド・モーテ(Matild
Maute)と結婚
したにもかかわらず1年後、ランボーと会い、彼と同棲し、イギリス、ベルギー及び北フランスを転々としました。
そのときにブリュッセルで、ランボーをピストルで撃ち、収監されました。
その後、31歳の時に教職を得て、イギリスの中学に転職しましたが、またも生徒中の美少年リュシアン・レチ
ノアに惚れて問題を起こし授業をおろされました。
その後しばらく母とパリに住みましたが、40歳の時、泥酔して母の頸を絞め、再び入牢。
出獄後またリュシアンの故郷を放浪した後、パリへ戻り、無一文で左膝を患い、一時慈善病院に入院しました。
41歳の時に、経済的援助をした母が死亡し、以降慈善病院を転々とします。
42歳の時に、慈善病院から娼婦ユージェニー・クランツの家へ転じて情夫となりましたが、ユージェニーに駆け
落ちされ、再び慈善病院に入院しました。一時期、別の娼婦フィロメーヌ・ブーダンに連れ出され、国内および
イギリスへ講演旅行をしましたが、ユージェニーと和解しまた同棲しました。
晩年、文部省から救済の500フランを受け取りましたが、パンテオン近くの自宅で、娼婦に看取られて死去し
ました。
ここでは、1996年にジェネラル・フランセーズ社から出版された「ヴェルレーヌ サテュルニアン詩集」の原文を
元に、私の好きな部分を拾い上げて、私なりに解釈した翻訳文を紹介します。
なお、各翻訳文には原文の読みをカタカナで入れました。
これは、ヴェルレーヌの詩がマラルメと同じように、音楽的で、詩的なリズムを大切にしているからです。
是非原文を繰返し朗読して、その素晴らしさを味わっていただければ幸いです。