ヴァレリーは、1871年、地中海沿岸の港町セットに生まれ、1945年、74歳で亡くなられました。
13歳のころから文学に関心を持ち始め、詩を書き始めました。少年時代はポーやボードレール、ランボーの詩に熱中していた
ようです。
1888年、モンペリエ大学法学部へ入学し、パリからやってきた詩人ピエール・ルイスと知り合い、ルイスからマラルメの『エロ
ディヤード』の詩を知り、感激したそうです。さらに、ルイスを通じてアンドレ・ジッド、ユイスマン、マラルメと親しくなりました。
ところが、21歳頃から詩人としての才能を疑い、文学に対して激しい嫌悪を抱くようになり、ヴァレリーは次第に文学から遠ざ
かるようになりました。24歳の時に、評論『レオナルド・ダ・ヴィンチの方法序説』を発表、25歳の時に、小説『ムッシュー・テスト
と劇場で』を発表の後、20年間に及ぶ文学的沈黙期に入ります。
1917年、46歳の時に、アンドレ・ジッドの勧めで、『若きパルク』を発表し、一躍名声を勝ち取りました。1922年には、『魅惑』
を発表。
1925年、アナトール・フランスの後任としてアカデミー・フランセーズ会員に選出され、1937年からはコレージュ・ド・フランスの
詩学講座を担当することになりました。
その後、数多くの執筆依頼や講演をこなし、フランスの代表的知性と謳われ、第三共和政の詩人としてその名を確固たるもの
とします。
死後、その功績により、戦後フランス第一号の国葬をもって遇せられました。
ヴァレリーに一詩人を見るというよりも、フランス思想の巨匠として見る人が多く、詩人、芸術家、批評家、思想家、哲学者及び
科学者等として名声を博していました。
彼は、文学を批判し糾弾した文学者ともいわれ、彼の制作は常に「極点にまで押し進められた心的労力」を要求しました。
彼の詩論は、マラルメの詩の極限を凝視して、その理論化を試みたもので、精妙で深遠な詩論といわれています。
その詩論の中には、「形式的芸術」を重視する傾向が見られ、「形式と内容の不可分」、「音と意味との不分離性」が、詩の中心
にあるとして、「音」に極度の重要性を付し、しばしば音のために意味を犠牲にするとさえいわれています。
語の同一音の反復、詩の音響的実態を成す「旋律(リトム)」、「半諧音(アソナンス)」、「畳韻(アリテラション)」、「十二綴音(アレ
クサンドラン)」、「十綴音(デカシラーブ)」等の諸効果を詩の眼目として、当時のアポリネール、ジャコブ、コクトー及び超現実主義
詩人たちの非合理的詩風とは正反対の、「厳重に古格を遵守して、形式的完璧を目指す端正冷徹な主知的詩風」を主眼としてい
ました。
ヴァレリーの詩の特徴は、知能の操作によって、冷静に計算されたもので、科学的ともいうべき精密さをもって細工されたもので
あって、ヴァレリーによれば、詩は全て意志され、準備され、計算されて製造されるべきものである。
真の詩人のあり方は、夢の状態とは極めて遠いもので、夢を記述しようとする場合にも極度に覚醒の状態になくてはならない。
詩は夢想とは正反対なもので、目覚めた努力が秘かに気長に続けられてこそ、詩の美しさは次第に成熟し、偶然の出来事に
刺激されるや、忽然とそこに生れ出るものであるとのことです。詞は、長い間の忍耐と努力の成果である。
また、ヴァレリーの考え方として、1930年発行の「リテラチュール」には次のようなことが記されています。
1 気に入らないまま捨て置いた原稿に、ふと目を通しただけで、思いがけなく素晴らしい訂正に気付き、とたんに全てが目覚
めてくる。
以前は書き出しが悪かったのだ。今度は急に全てが生き生きしてくる。新しい転帰のお陰で、重要な一語をはっきりと浮かび
上がらせ、その言葉が自由に闊歩する。このきっかけなしには、その作品は存在しなかったのだ。このきっかけと同時に、その
作品は、突如存在するのだ。
2 昔は、言葉を耳で聞いて、心の奥深く響いたものである。その後、目で文字を追いかける文学が生れた。声の影には人体の
全てが存在し、また思想を生み出す支柱となる。詩には美しい響きの継続が必要である。
3 ユーゴー、マラルメ及びその他の数人の詩人においては、非人間的な、いわば絶対の言葉を作ろうとするある種の傾向が見
受けられる。
それは何かしらあらゆる人物から独立した存在、いわば「言葉の神性」、言葉の総合的全能力を輝きださせるような存在を暗
示させる詞である。
4 技術が原始的だった時代に、純粋な金属がなかったと同じく、文学の初期にあっても、純粋な詩人は存在しない。
5 韻文の力は、それが語るところのものと、それがあるところのものとの間の定義しがたい調和(アルモニー)に存する。
6 詩を作る最低限の六条件とは、次のとおりである。
@女性詞を使う、 Aシラブル数を2とする、 BPまたはFを含む、
C無音のEで終わる、 D割れ目、分裂の同義語を使う、 E気取りもなく、珍しくもない言葉を使う
ここでは、1929年にガルリマール社から出版された「ポール・ヴァレリー詩集」の原文を元に、私の好きな部分を拾い
上げて、私なりに解釈した翻訳文を紹介します。
なお、ヴァレリーの詩は、マラルメやヴェルレーヌよりもさらに音楽性や詩的リズムを大切にし、極限まで追求する姿勢
があるため、各翻訳文には原文の読みをカタカナで入れました。
是非原文を繰返し朗読して、その素晴らしさを味わっていただければ幸いです。