「芋洗ふ女 西行ならば 歌よまむ 」
俳句の意味: 昔、西行法師が「江口」というところで、日暮れ時冬時雨をさけて貧しげな家に
立ち寄り雨宿りを乞うたところ、女主人はゆるす気配がなかったので、西行が1句
歌を送ったところ、女主人が歌を返して一夜留めてくれることになりました。
芭蕉は、たまたま通りかかった川辺で女どもが芋を洗っているのをしばらく立ち止
まって眺めていたのでしょう。これが西行ならば、あの「江口」の女主人と歌を詠み
交わしたように女どもと歌を詠み交わしただろうに、私にはその才はない。
旅の思い出: 芭蕉は、西行谷を訪ねた折に、西行谷の麓を流れる川で芋を洗う女どもを見つけました。
私も二見ケ浦の西行谷に行ってみると、その麓にこの五十鈴川が流れていました。
残念なことに西行谷は今ほとんど埋め立てられていて、一部埋め残った場所に西行
が好んだ萩の花が咲いているの見つけて1句浮かびました。
「埋め残る 西行谷に 萩の花」
自作
埋め残る
西行谷に
萩の花