俳句の意味: 漁をする帆掛け舟が春風に身をまかせて、静かに流されてくるのを見ていると、昔ながらの
漁法で魚を取っている漁民とその周りの大自然に悠久の時の流れを感じるものです。
旅の思い出: 5月5日(土)4時半に起床して、沙弥島へ向けて道の駅「ふれあいパークみの」を5時に出発。
朝6時に沙弥島の駐車場に到着しました。
この日はこどもの日で浜辺でキャンプをしている大家族が朝食の準備をしていました。
大きなテントが張られて、砂の上で新聞を読むもの、海を眺めながら髯をそるもの、かまど
の火をくべるものとそれぞれ役割分担が自然に決まっているようでした。
私は、簡単に挨拶を交わしながら、そのキャンプの傍を抜けて、周囲2キロ足らずの小さな
島を散策し、絵になるところを捜し歩きました。
最初に見つけたのが、柿本人麿碑のある浜辺で、その傍に「人麻呂岩」と呼ばれる岩があ
り、人麿が沙弥島に漂着して見た「石中の死者」がいたところとされています。
このとき、人麿が詠った「妻もあらば 摘みてたげまし 佐美の山 野の上のうはぎ 過ぎに
けらずや」を思い起こしました。「うはぎ」というのは嫁菜のことで飢饉のときに食べるものだそ
うで、もし妻がいれば嫁菜を摘んでこの死人に食べさせたであろうが、この死人は嫁菜を採る
すべを知らずにここで飢え死にしてしまったという意味だそうです。
その浜から左へ山の中に入り、50mほど行ったところを右に曲がって100mほど行くと「長崎
鼻」と呼ばれる島の先端に立つことができ、瀬戸大橋と瀬戸内海を一望することができます。
「春風に 身をまかせけり 帆掛舟」
ここを一つのターゲットにして、他の場所を探すため来た道を戻り、さらに山の方へ登ってい
くと大タンポ、小タンポと呼ばれる2つの浜があり、ここも絵になるポイントと決めました。
さらに暫く奥へ入っていくと白石古墳がありましたが絵にはならないので、やはり瀬戸内海を
一望する長崎鼻に戻って絵を描くことにしました。
昼過ぎに出来上がったので、次の目的地「白峰」へ向いました。
「春風に 身をまかせけり 帆掛舟」 俊愚
しゃ み とう