俳句の意味: 俊寛が住んでいたという俊寛堂は、竹の林の奥にあり、一日中うぐいすがさえずり
椿の木に囲まれたなんともゆかしい籠り戸で、平家物語に出てくる悲劇とはやや趣を
異にするもので、心が和みました。
旅の思い出: 3月20日(火)、朝9時半に鹿児島港から船に乗り、約4時間かかって硫黄島の港に着き
ました。車を持っていくと運賃が高いので、バッグと椅子と絵の道具を持って乗船しました。
運賃は往復7000円で、硫黄島の民宿「ガジュマル」に泊まることにしました。
硫黄島には旅館と民宿が5軒あって、民宿「ガジュマル」の傍には大きなガジュマルの木
があり、野放しにした孔雀が悠々と歩いておりました。
民宿にバッグを置いて早速、俊寛堂のスケッチに行きました。午後2時頃から夕方の6時
頃までスケッチをして旅館へ戻りました。
俊寛堂は竹林の奥にあり、道路から50メートルほど苔の生えたくねくねとした細い道を歩
いていくと、涸れかかった小さな川が流れており、少し登ったところに椿に囲まれたやや開
かれた場所があって、その奥に竹でできた草庵がありました。
私がスケッチしている間中、うぐいすのさえずりが聞こえ、この世のものとは思えないよう
な錯覚に陥りました。山川草木の命を感じ、自然と一体になった雰囲気を味わいました。
残念ながら、椿はほとんど落ちていましたが、1月から2月にかけて島椿の花が一面咲き
乱れるそうです。
「うぐいすや 籠り戸ゆかし 竹の奥」
夕方6時ごろ林の中は暗くなって見えなくなってきたので、民宿に戻ることにしました。
約30分かかって帰る道すがら、道路の両脇には椿の木が並び、2,3島椿の花が残って
いました。人家の近くに来ると、やや甘えた猫と七面鳥を掛け合わせたような鳴き声が島
全体に響いて、島の春の夕影の雰囲気をかもし出していました。
「春の島 孔雀恋する 夕間暮れ」
民宿にたどり着くと、夕食の準備が整っていましたが、温泉はないかと民宿の女将に訪
ねたところ、歩いて5分ぐらいの村民開発センターに無料の温泉があり、7時半までやって
いるとのことなので、早速入りに行きました。はじめは誰もいなかったのですが、仕事を終
えた村民の方々が、家族を連れてやってきました。毎週火、木、土だけやっているとのこと
でしたので運がよかったようです。
7時半に民宿へ戻ると、宿泊者が数人大きな食卓を囲んで食事をしており、ほとんどの人
が食べ終えて、懇談をしながら酒を飲んでいました。
私も早速仲間に加わり、食事をしながら今までの旅の成果としてスケッチのお披露目をし
ました。女将も加わって泊り客総員で酒を飲み交わしながら、親睦を深めました。
これこそ旅の醍醐味というもので、池田さんと山口さんという20代の若者と親しくなりました。
あまり遅くなると女将が大変なので、10時ごろには各部屋に分かれて床に就きました。
翌朝孔雀の鳴き声で目を覚ましました。
「島の朝 孔雀や春の 時の声」
そのまま5時半に起きて、約1時間ほど歩いて島全体が望める恋人岬に寄ってから、再び俊
寛堂へ行って、昨日描いたスケッチに色をつけました。
帰りの船が10時に出港するので、9時半ぎりぎりまで描いて民宿へ戻りました。
朝早かったので、民宿の女将が朝食代わりにおにぎりをつくってくれ、それをもらって船に
乗りました。出港してから船の上で食べたおにぎりは最高でした。
帰りの船で、昨夜民宿で酒を飲み交わした若者とお会いして、お互いに楽しかった思い出を
語り合いました。
鹿児島港には午後2時に着きました。その後宮崎の日南海岸を目指して国道10号線をひた
走りました。夕方6時に日南の堀切峠にある道の駅「フェニックス」に到着しました。
海岸を散歩してスケッチする場所を探し、夕食をとって9時には寝ました。
「うぐいすや 籠り戸ゆかし 竹の奥」 俊愚