俳句の意味: ニニギノミコトが降臨された高千穂の峰にようやく春の訪れの気配を感じ、
いまや春の神様が降臨されたように穏やかである。
旅の思い出: 3月17日(土)夜中の1時に自宅を出発し、高速道路を1400キロ、17時間かけてひた走り、
午後6時30分、霧島温泉郷に到着しました。途中山口県の秋吉を午後2時ごろ通過し、春の
日差しが石の台地に降り注ぎ、早い春の訪れを告げていました。
「秋吉の 石の台地に 春降りた」
霧島温泉郷に到着後早速、330円を支払って「前田温泉カジロが湯」に入り疲れをとって、
道の駅「霧島」までもう一走りして22時に床に就きました。
翌朝、5時半に起きて食事をした後、霧島神宮に参拝しました。
7時に山に入り、先ず最初に見たのは、旧霧島神宮の跡でした。
聞くところによると、霧島神宮は火山の影響で4回場所を移動しており、欽明天皇の頃、
さらに頂上近くに神社があったそうで、この場所が2度目で、もう1回他の場所に移ってから、
さらに麓にある現在の位置に霧島神宮が建て替えられたとのことであります。
その旧霧島神宮の祭壇跡の前に立つと、身震いがして、神聖な場所であることを実感し
ました。そのとき、山の向こうの方からうぐいすの鳴き声がこだまして、さらに神々しい思い
が胸に迫ってまいりました。このとき本当に神がいるんだと確信しました。
「霧島の 山にうぐいす 神の里」
はじめは石段が続き、気分よく登っておりましたが、突如森を抜けて前面には火山の瓦礫
が広がり、道らしき道もなく、とんでもないところへ来たと思い始めましたが、ここで下山して
は今までの努力が水の泡と化すと思い、黙々と上りました。
しかしながら、行けども行けども頂上は見えず、スケッチ用の椅子と道具が邪魔になり、
その場に投げ捨てたくなりました。
それでもびっしょり汗をかきながら、猶執拗に上を目指しました。
漸く登りつめた兆しが見えてきたのは、その格闘が1時間ばかり続いた後でした。
ややなだらかな尾根を歩き、右手に御鉢と呼ばれる大きな火口がアリ塚のようにぽっかりと
口を開け、煙がくすぶり何時爆発してもおかしくないなと思わせました。
その尾瀬を30分ばかり歩くと、一旦下り坂となり広い山間に出ました。そこに小さな鳥居と社
があり、昔欽明天皇の頃、ここに霧島神社があったとのことです。
そこからがまた一苦労で、約30分急な山肌を黙々と上りました。
終に2時間の格闘の末、頂上へたどり着きました。頂上には確かに天の逆鉾が刺さっており、
冷たい西風が激しく吹いていました。じっとしていると風邪をひきそうだったので風をよけて
日当たりのよいところを選んで汗を拭き、食事をしてからもう一度厚着をしました。
そこで約4時間半風をよけるようにしてスケッチをしました。
風をよけると日当たりがよく高千穂の峰にも春が来たことが伝わってきます。
雪が解けて、地熱と太陽の熱で湯気が立っていました。そこで一句、
「高千穂や 春の降臨 神の山」
あたり一面芝のような葉をした「みやまきりしま」が温かくなるのをじっと待っていました。
みやまきりしまは、4月の下旬から初夏にかけて真っ赤な花を咲かせることで知られています。
「芝草の みやま霧島 春を待つ」
午後2時半スケッチが終了し下山しました。途中、櫻田さんという方にお会いし、下山の
道案内をしていただきました。この山は登るのも大変ですが、降りるのも急でかつ瓦礫が
崩れるためにかなり神経を集中して降りないと転げ落ちる危険を感じました。
そこで毎年来ておられるという櫻田さんが、足元のしっかりした場所を探しながら私を
誘導してくれました。降りるときは杖が必要ですが、私はスケッチ用の椅子を持っている
ため、思い通りに歩けません。途中山肌の中央で一休みしたときに、櫻田さんが「今日は
霞がかっていますが、天気がよいと桜島と薩摩湾がくっきりと見えますよ。」と南の方を指
差しました。うっすらと桜島の影が見えました。そのときふと沸きました。
「高千穂や 薩摩の海の 春霞」
下山して、高千穂河原の駐車場で、芭蕉の旅の絵を櫻田さんに見ていただきお別れしま
した。その後帰宅すると、櫻田さんから、2冊の本が贈られてきました。
深見東州著「強運」と「大創運」でした。私には神霊界を見る能力がないため半信半疑の
ところもありますが、大宇宙、大自然の仕組みが手に取るようにわかり、人のために努力し
て徳を積む大切さがよくわかります。
時たま下山した折にお会いした桜田さんのお陰で私の世界観が広がりました。
誠にありがたいことであり、深く感謝いたします。
「高千穂や 春の降臨 神の山」 俊愚