俳句の意味:  昔万葉の頃に、大友旅人と山上憶良が筑紫歌壇ともいうべき天平の文化を築き

          あげました。大宰府の礎石を見ていると、その頃の歌人の姿が目に浮かんできます。

           また、漸くたどり着いた大宰府跡に咲く梅の香りをかいでいると、遠い昔の大宰府

          「遠の朝廷」の繁栄ぶりを思い起こさせます。

           
         

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 旅の思い出:  平成19年2月3日(土)、夜中の1時半に自宅を出発して、同日4時半に大宰府に

          着きました。その間、立春の月がものの見事に照り輝き、月を友として東名高速を

          ひた走りました。

                 「立春の 月はさやかに 旅の空」

                 「月青く 富士の高嶺の 雪明り」

           この大宰府跡は、現在公園として市民の憩いの場所となっていますが、南大門や

          回廊等大きな建造物の礎石が規則正しく並んでおり、当時の繁栄を偲ぶことができ

          ます。 ちょうど梅の開花し始める時期で、紅梅が先に咲いていました。

                 「若草や 礎石に浮かぶ 歌の影」

                 「梅の香や 遠の朝廷の かぐわしき」

           その日は、ここ大宰府と近くにある太宰府天満宮を見て歩き、スケッチする場所を

          探した後、夕刻も近づき1100キロのドライブの疲れもあって、近くの観音寺駐車場に

          車中泊して8時半には床に就きました。

           翌日4日(日)は一日中風もなく穏やかで、ゆっくりと大宰府のスケッチをした後、

          太宰府天満宮へ行き夕刻6時まで天満宮の下書きをしました。












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「若草や 礎石に浮かぶ 歌の影」        俊愚

            とう  みかど 
「梅の香や 遠の朝廷の かぐわしき」      俊愚

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