俳句の意味: ここ中須海岸には昔、沖合いに「鴨山」という島があったそうで、人麿はそこに流され
入水して亡くなられたそうです。今はその島は大地震で水没して見えませんが、寄せ来
る浪をじっと見ていると、昔人麿が詠んだ次の歌を思い出します。
「石見のや 高角山(たかつのやま)の 木の間より わが振る袖を 妹見つらんか」
浪の一つ一つが人麿の振る袖に見えてきました。
旅の思い出: 平成18年11月17日(金)、朝5時半に起床し、冷たいおにぎりを一つ食べて、柿本人麿の
終焉の地である中須海岸に向いました。
夜中におまわりさんに教えていただいた排水処理場を見つけましたが、なかなか石碑が
見つからずうろうろしていると、朝の散歩をされていたご老人にお会いし、その場所を教え
て頂きました。確かに、排水処理場の門の傍に小さな石碑を見つけました。
石碑の周りには、石蕗(つわぶき)の花がたくさん咲いていました。
その横に海岸へ降りる狭い階段があり、その老人は、その階段を降りながら人麿が入水
したという場所を教えてくれました。階段の途中にも石蕗の花がたくさん咲いていました。
日本海の冷たい風にさらされた海岸に唯一華やかに咲いている石蕗の黄色い花をみて
心が和み、ここへ流されてきた人麿もさぞかしこの花を見て心を和ましたことでしょう。
「石蕗に 心をいやす 歌人かな」
海岸から500メートル位のところに昔「鴨山」と呼ばれた島があったそうで、かつての大
地震で水没し、今は海底にその跡を残すのみだそうです。
人麿が亡くなられた場所ついては、いくつもの説があるようですが、私は人麿が詠んだ次
の歌を素直に受け取って、ここであってほしいと願い、ここを描くことにしました。
「鴨山の 岩根し枕(ま)ける われをかも 知らにと妹が 待ちつつあらむ」
この日は珍しくよく晴れましたが、若干風があり高波が寄せていました。
「人麿の 袖振る浪か 秋の風」
朝7時から描き始め、12時ごろに終了したため、津和野を見学するために早めにここを
出立しました。
途中、柿本人麿神社に参拝し、津和野駅に2時半に到着しました。
津和野では、津和野城址、西周旧宅及び森鴎外旧宅を見て回りました。
津和野は静かな街で、津和野を出立したのは、うら悲しさを感じる秋の夕暮れでした。
「城跡に 告げる津和野の 秋さみし」
そこから下関へ向いましたが、途中暗くなり夕食をとるため「菊川温泉、道の駅」に泊まる
ことにしました。ちょうど近くに温泉センターがあり、ゆっくり浸かって、夕食をとった後、22
時に寝ました。
「人麿の 袖振る浪か 秋の風」 俊愚