俳句の意味: もし、この旅が実現していたら、ここ京都の落柿舎で芭蕉は弟子の去来に来年の春には、
長崎で会おうと約束したはずですが、その契りは今は渋柿であってもいずれは熟すように必
ず達成しましょうとの意をこめて、俊愚が代わりに歌ったものです。
旅の思い出: 平成18年11月12日(日)、朝7時に京都の落柿舎に到着し、夕方5時までスケッチを続けま
した。この絵は10時間かかっています。
途中、晴れ間が出たかと思うと急激に雲が出て激しい時雨となり、時折雷もなりました。
雨宿りをするところがないため、大きな雨傘をさしてぶるぶる震えながら描きました。
それでも、多くの観光客が訪れ、観光客を乗せた人力車が雑踏のごとく行交いました。
人力車の車引きの案内人が、「これが有名な落柿舎でおわします。芭蕉さんのお弟子さ
んで去来さんといわれる方の草庵でおわします。柿の木は樹齢300年でございます。」と
流暢な京都弁で案内すると、必ずといっていいほど客が「へー」というだけで通り過ぎていき
ました。
ところで、この日は驚くようなことに遭遇しました。以前、「野ざらしスケッチ紀行」で初め
てお会いし、その後「笈の小文スケッチ紀行」 でお世話になった伊賀上野の南出さんに
ばったり出合ったのです。
奇遇なことに、南出さんはちょっと前まで団体で旅行していたところ、気が変わって一人分
かれて落柿舎にみえたそうで、一億もいる日本人の中でよりによって同じ日に同じところで
お会いしようとは夢にも思いませんでした。
はじめはお互いに不思議な顔をして見合っていましたが、「あんりゃまあ」とばかり、びっく
りして声を掛け合いました。その不思議さはしばらく狐につままれたようでしたが、突如大き
な喜びに変わりました。私は絵を描き続けていましたが、南出さんはどこからか柿の形をし
た焼き物の鈴を2つ買ってこられて、記念にと1つ私にくれました。
南出さんは、敬虔なキリスト教徒で若いときには相当苦労され、今は文学に目覚め、小説
を書く傍ら、残された人生を人のために尽くしたいと、大阪のボランティアの人たちと一緒に
なって、大阪のホームレスの人たちの支援に奔走されておられます。
大阪は、高齢の失業者が2万人と全国でも一番多いホームレス地帯だそうで、寒い夜空
の下で厳しい生活を強いられている人たちに、燃料、食料、衣料を週1回運び、解体した家
の廃材を炊き出し用に運び、そして牛肉屋さんの肉を取った後の牛の骨を大きな箱に詰め
て雑炊のダシとして使用し、70歳位の南出さんと同年輩の浮浪者が集まる公園へ行って、
何千人という人に食事を提供している大阪のボランティアの方々のお手伝いをされているそ
うです。私はただ絵を描いているだけで人のためには何もしておりませんが、南出さんにお
会いできたことを誇りに思います。
その高徳な人柄は、今眼前にある柿の艶のある赤味のように品格があり繊細であると感
じました。
自分のことしかしていない自分を振り返り恥ずかしい思いもありますが、身震いをするだけ
で人のために尽くせない自分をなんとも歯がゆく感じる次第です。
私は自分の旅を続けなければなりません。絵を描きながら色々な風情を感じて次の句を
詠みました。
「年を経て 風情たしなむ 柿の庵」
「友と見る 柿の赤味や デリカテス」
「柿の実や 趣ゆかし 萱の庵」
デリカテス=delicatesse(仏語):繊細、美味、上品
「熟せりと 京の契りの 柿の渋」 俊愚