俳句の意味:  来年の春には、芭蕉は乞食であっても、病であっても筑紫へ行くんだと、九州への

          旅を熱望していました。

         

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 旅の思い出:  芭蕉は、元禄7年(1694年)旧暦10月12日(新暦11月中旬)に大阪で病に倒れ、

          遺言によって大津の義仲寺に葬られました。

           義仲寺の辺りを「膳所(ぜぜ)」といい、芭蕉は何度も訪れては、膳所の蕉門の人々

          と親交を深めておりました。膳所の人たちは芭蕉を大切にし、芭蕉も相当気に入って

          いたようで、親しみをもって、「行く春を近江の人と惜しみける」という歌を残しています。

           弟子の曲翠(きょくすい)への元禄4年11月13日付手紙では、「偏に膳所之旧里のご

          とくに存なし候(膳所は故郷のように思える。)」と伝えています。

           また、元禄7年2月23日付手紙では、「風雅湖水に所を得たる事なるべしと、感吟跳躍

          不覚候(琵琶湖という風光明媚な所があればこそ得るところがあると、胸躍る想いで

          貴方の俳句を鑑賞しております。)」と相手の歌とともに膳所の土地柄を褒めています。

           私は、平成18年11月11日(土)夜中の3時に埼玉の自宅を出発し、東名高速道路

          を抜けて義仲寺に朝10時に着きました。                        

            このスケッチ紀行を敢行するに当たり、芭蕉を供養し、芭蕉を背負って義仲寺から出

          立しようと考えておりましたところ、思いもかけず、当日11時から「芭蕉三百十三回忌 

          時雨会」が行われると聞いてびっくりしました。絵のように門前に幕が下ろされ、11時か

          ら12時まで供養が営まれ、午後は句会が行われるとのことでした。

            早速、芭蕉の墓前に線香を手向けて迎えにあがりましたと心ひそかにお伝えし、芭蕉

          を背負って外へ出ました。

            そこで、門前を描こうとうろうろしていたところ時雨が降り始め、このままではスケッチ

          できる状態ではなかったので、義仲寺の真前にお住まいの「上野様」をお訪ねして、スケ

          ッチするために軒先をお借りすべくお願いしたところ、誠に快く承諾していただき、下の写

          真に見るとおり、玄関を開放していただき、なんと勝手ながら6時間に渡り占有し、夕刻底

          冷えがして家の中が真っ暗になるまで描いていました。

            さすがに、上野様も痺れを切らし、「もうそろそろいかがですか?」と促され、漸く自分が

          我を忘れて描いていることに気がつきました。

           この写真は、私が描いている間に上野様が撮ってくれたもので、後で色が塗れるように

          と義仲寺の門前の写真と共に頂いたものです。

            このようにして、無事スケッチが終了しましたが、このときの思いを歌にしました。

                 「芭蕉忌や 膳所のお人の 温かさ」

                 「時雨会に 会えて芭蕉の 供養かな」

                 「果たさんと 芭蕉背負いて 旅しぐれ」






           







  その晩、以前から知り合いの野村さんのご家族とお会いして夕食をご馳走になり、1泊

           し、翌朝日が明ける前に、琵琶湖の湖畔を散歩して有明の月を眺めた後京都へ向いま

           した。

            この時期は、近江特有の時雨模様で、この後の京都、山陰の旅は時折太陽が顔を見

           せるものの時雨時雨れてスケッチ紀行にとっては厄介な涙雨でありました。

            この時その予兆を感じて、琵琶湖の畔でやや悲しさを込めて次の句を詠みました。

                 「旅立つや 香取の海は 時雨けり」

                 「琵琶の朝 弓月が雲に 隠れけり」

             自宅を出発する前日の晩に、悪天候を気にして曇りがちだった妻の顔を思い出して、

                 「朝時雨 思い出しけり 妻の顔」









              

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大津 義仲寺

「春に我 乞食病めても つくし哉」       はせを         

            
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