旅の思い出:  平成23年11月7日〜10日の間、私は岩見相聞歌の疑問点を顕彰するため、再び島根県の太田市、江津市、

浜田市、益田市、仁摩町及び邑智町を訪ねました。

11月7日に羽田から航空便で萩・石見空港へ向い、4日間レンタカーを借りて回りました。
 最初に向ったのが益田市にある高津柿本神社です。本を編纂するに当たり多くの示唆を頂いた柿本神社に対しお礼方々、
神社の地形を確認しながら、神社の裏山にある万葉植物園を見て回りました。
 その後、石見相聞歌の第二長歌群に出てくる「渡りの山から見る屋上の山(別名、室上山、浅利富士)にかかる月」を確認す
るため、江津市の渡津町及び松川町付近を回りました。ところが、天候もやや不良で、室上山にかかる月をはっきりと確認する
ことはできませんでした。その時、室上山の麓にある「県民少年自然の家」を見つけて訪ねてみました。職員の方が親切に教え
てくれて、そのグラウンドから室上山の頂上が見えるとのことでした。大分日も暮れて暗くなってきましたが、天候不良の中じっと
月の出るのを待っていました。その時です、室上山の右上に隠れるように月が出てきました。
 この時、「古への 山に上りて 隠れ行く 悲しみ深き 人麻呂の月」の歌を詠みました。


           
    
           室上山の麓にある「県民少年自然の家」の
          グラウンドからみた室上山の月(11月7日)

この近辺では、室上山は他の山々に隠れてほとんど見えるところがなく、唯一渡津町の海岸線辺りから見えるかもしれないと
のことでした。その日は日が暮れて遅くなったので、翌日8日に、渡津町の海岸線に近い国道9号線を走って捜しました。
 すると、夕刻5時頃に室上山にかかる見事な月に遭遇しました。

                        

            夕刻5時頃に室上山にかかる見事な月                 月の反対側に見えた日没の様子
             (11月8日)

この写真の場面は、人麻呂の石見相聞歌の第二長歌にある情景にぴったり一致します。

第二長歌の後半に、次のようなくだりがあります。

  「大船の 渡の山の 黄葉の 散りのまがひに 妹が袖 さやにも見えず 妻ごもる屋上の一に云ふ「室上山」山の 雲間より 

渡らふ月の 惜しけども 隠らひ来れば 天伝ふ 入日さしぬれ 大夫と 思へるわれも 敷栲の 衣の袖は 通りて濡れぬ」

 現代文に訳すと次のようになります。 

「(枕詞=大船の)渡りの山の、黄葉が散り乱れる中、妻の振る袖もはっきりとは見えず、(枕詞=妻 ごもる)屋上の山

或る本にいう「室上山」)にかかる雲の間に渡る月のように、名残惜しくてならないが、徐々にその姿が見えなくなってくると、(枕詞

=天伝ふ)夕日がさしてきたので、立派な男子だと思っている私も、(枕詞=しきたへの)衣の袖を涙で濡らしてしまった。」

 上の2枚の写真は、正にこの情景そのものであると思いませんか?

 私はこれを顕彰するために、石見へ来ました。

 こうして、室上山の月の出を確認したので、翌日9日に、島ノ星山へ行って中腹の木の間からここに示す絵をスケッチしました。

 この場所は、島ノ星山中腹にある高角山公園の脇から「万葉古道」と呼ばれる道を1キロばかり登ったところです。

 ここからは、スケッチにもあるとおり室上山(浅利富士)が見えます。その方向に別れた妻が住んでいるであろう旧石見国府(仁

摩町宅野辺り)があります。人麻呂は明らかにこの辺りで、妻との別れを惜しむこの歌を詠っています。

 



     

「石見のや 高角山の 木の際より わが振る袖を 妹見つらむか」
                                        
                                       (万葉集 132)

自作の歌

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古への 
山に上りて 隠れ行く

悲しみ深き

人麻呂の月
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和歌の意味:   石見の国の高角山の木の間から私が振っている袖を、妻は見ているだろうか。

           分かれるのは辛いことだ。さぞかし妻は嘆いていることだろう。

室上山(浅利富士)
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