旅の思い出:  11月22日、坂出市にある沙弥島(しゃみじま)へ向う途中で、徳島県にある馬酔木(あせび)公園に寄り、

         朝6時半にご来光を拝みました。 人っ子一人おらず、日の出を独占しました。

             「徳島の 馬酔木の丘の ご来光 かぎろひ照らす 一筋の雲」

         そこから大坂峠を抜けて国道11号線をひた走り、午前10時に沙弥島に到着しました。

         昔は、陸地から4kmはなれた島でしたが、今は瀬戸大橋の足場を築くため、全て埋め立てられて「瀬戸大橋

        記念公園球技場」の先に小さな半島となってつながっています。

         柿本人麿が上記の歌を詠った所で、柿本人麿碑のある海岸を描きました。

         この浜辺の岩場が「石中の死人を見て柿本人麿の作りし歌」の「石中の死人」がいたところのようです。

         午後4時にスケッチを終了し、祖谷(いや)へ向いました。真っ暗な山道を登っていき、道の駅「にしいや」に夜

        9時に到着しました。

         翌日23日、7時半に起床して、「かづら橋」を見学した後、天然温泉「秘境の湯」に入りました。

         その後、平家屋敷を見学し、大歩危、小歩危の黄葉を見ながら、再び明石大橋の袂にある道の駅「淡路」へ

        向いました。 その後、21日に雨のために一部描けなかった明石大橋のスケッチを完成させて、翌日24日朝、

        明石大橋を渡って家路につきました。

         これで、柿本人麿スケッチ紀行を全て終了いたしました。





       

「妻もあらば 採(つ)みてたげまし 佐美の山 野の上(え)のうはぎ 過ぎにけらずや」

                                          (万葉集 221)

自作の歌

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徳島の

馬酔木の丘の

ご来光

かげろひ照らす

一筋の雲

沙弥島(しゃみじま)

和歌の意味:   もし妻がそばにいたならば、うはぎ(嫁菜)を摘んで食べさせたであろうに、この男は嫁菜をとる

          すべも知らずにここで飢え死にしてしまった。 佐美の山(沙弥島)の嫁菜は盛りが過ぎてしまった

          ようだ。

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