旅の思い出:  11月20日、午前中に三輪山の麓にある檜原(ひばら)神社を描いた後、淡路へ向いました。

          途中、二上山(ふたかみやま)登山入口に車を止めて、雌岳と雄岳に登りました。

          最初は雌岳を目指しましたが、登山道が2ルートあり、道が岩山をよじ登る険しいルートを選びました。

          空は晴れていましたが、風が冷たく木も鬱蒼と茂って、黄葉した枝葉が怪しげに揺らいでいました。

               「吹く風に いさよう枝の 葉はもみじ 二上山の 道は険しく」

          雌岳の頂上で、遠く大和三山を眺望して一服しました。その後、雄岳を目指しました。その雄岳の頂

         上には、大津皇子(おおつのみこ)が埋葬された墓があると聞いていたので、それが登山の目的でした。

          午後3時に大津皇子の御墓に到着し、そこで大津皇子の辞世の歌を大声で歌って、皇子の霊を慰め

         ました。「モモツタウ イワレノイケニ ナクカモヲ キョウノミミテハ クモカクリナン !!」

          そのときの気持ちを歌にしてみました。

               「暮れなずむ 大津皇子の 御墓にて みまかりし時の 歌を叫ばん」

          二上山登山入口に4時頃戻り、そこを出発して夜9時に淡路島の北端にある道の駅「淡路」に到着しま

         した。 ここは、明石大橋の淡路側の橋の袂にあり、明朝この明石大橋を描くためにここで寝ました。

          翌日、朝6時に起床し、7時から午後3時まで明石大橋を描きました。曇り空で時折日差しも射しましたが、

         風も強く、あいにく小雨が降りはじめたので、途中で描くのを止めました。

               「淡路きて 幾度見つめん 大橋の 明石の瀬戸は 風強きかな」

          一時中断して、以前に寄ったことのある野島崎クリーンセンターにある「千年の湯」に入りに行きました。

         千年の湯の受付をやっている辻さんという方が是非とも、以前に書いた野島漁港のスケッチをここに展示し

        たいとのことでしたので、後日コピーをお送りしたことがあります。

         今回はお礼にと下の写真にあるとおり、可愛らしい来年の干支の手編みのぬいぐるみを頂きました。 

         かなり手間がかかるので、私の絵よりも時間がかかるとのことでした。

         時間が早く入浴者が私を含めて2人でしたので、ほとんど一人で2時間ほど浸かっていました。

         外は風が烈しく、時折日が差したかと思うと小雨が窓に当たっていました。 

               「風巻きて 枝影ゆれる スリガラス 秋の日差しが さす湯殿かな」

         夕方6時にここを出発して、次は香川県坂出市にある沙弥島(しゃみじま)へ向いました。

         そして、2日後に再び、道の駅「淡路」へ戻り、午後4時頃の夕焼けの空を確認して色を塗りました。

         翌朝7時に起床して、美しい明石大橋を渡って帰路に着きました。

         ここがこの柿本人麿スケッチ紀行の終焉の地となりました。

               「歴史みる 明石大門は わが旅の 終焉飾る 美しさかな」





                     





「留火(ともしび)の 明石大門(おおと)に 入る日にか 漕ぎ別れなむ 家のあたり見ず」

                                    (万葉集 254)

自作の歌

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明石大門は

わが旅の

終焉飾る

美しさかな

明石大橋
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和歌の意味:   灯火が灯る明石の瀬戸に漕ぎ入れた日には、遠く大和の家の辺りは見えなくなって、

         段々と漕ぎ離れて、別れ別れになってしまうのだな。

          

風巻きて

枝影ゆれる

スリガラス

秋の日差しが

さす湯殿かな

淡路きて

幾度見つめん

大橋の

明石の瀬戸は

風強きかな

暮れなずむ

大津皇子の

御墓にて

みまかりし時の

歌を叫ばん

吹く風に

いさよう枝の

葉はもみじ

二上山の

道は険しく

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