旅の思い出: 11月18日、紅葉が美しく以前から目を付けていた景観の素晴らしい瀬田川の畔(外畑町付近)
を描きました。宇治川と瀬田川は同じ川で大津よりが瀬田、宇治よりが宇治川となります。
この宇治川の流れる地域は、壬申の乱をはじめとして、古来から南北、東西の争いの場、戦場と
なってきました。
人麿は、そうした過去の悲惨な歴史を踏まえて、この宇治川に人生のはかなさや世の中の無常
を感じ取っていたに違いありません。
私は、景観の素晴らしさにこの場所を選んで描きましたが、早朝には深い霧がかかり、霧が川に
沿って足早に流れていました。
そこへ雁の一団が低空で横一線に広がって、霧の下をくぐり抜けるようにして川の上流へと飛ん
で行きました。そこで一首、
「霧深き 瀬田の河原を 雁が行く 横一線に くぐりぬけつつ」
「もののふの 八十宇治河の 網代木に いさよふ波の 行方知らずも」
(万葉集 264)
自作の歌
和歌の意味: 猛々しい八十宇治川をみていると、そこにある網代木(魚を捕る仕掛けを支える木)に
さえぎられて漂っている波の行方が分からないように、何か世の無常を感じるものです。