「水の上に 数書く如き わが命 妹に逢わむと 祈誓(うけ)ひつるかも」

                                         (万葉集 2433)

自作の歌

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山間の

曾束の里に

人麿の

面影忍ぶ

川の流れは

和歌の意味:   水の上に数を書くようにはかないわが命ではあるけれども、妻に逢おうと自分の長久を

         神に祈るばかりである。

          

大石曾束(おおいしそつか)

旅の思い出:  11月17日、柿本人麿が一時的にいたことがあるとされている曾束の風景を描きました。 

          ここは、宇治と大津の間の山村で、謹慎地の明石へ送られる前に人麿が住んでいたところらしく、

         その後、明石から狭岑島(さみねしま)に流されたといわれています。

          狭岑島は香川県坂出市にある沙弥島(しゃみじま)で、今回のスケッチ紀行の最後の旅路となった

         ところです。

          如何なる理由でここへ送られたのか知る由もありませんが、わびしく悲しい流浪の旅の始まりの地

         のように思われます。そこに流れる川はどことなくわびしく人が足を踏み入れることを拒んでいるよう

         に見えました。

          人麿がいた頃のことを思うと、その頃の大自然の厳しさを肌に感じざるを得ない気がします。

              「山間の 曾束の里に 人麿の 面影忍ぶ 川の流れは」





        

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