「往く川の 過ぎにし人の 手折らねば うらぶれ立てり 三輪の檜原は」

                                          (万葉集 1119)

和歌の意味:   あの人は往く川の水のようにはかなく逝ってしまった。 昔、あの人が檜の枝を折って

         髪に刺したことのある三輪の檜原は今はなく、ただうらぶれて立っているはかりです。

          

旅の思い出:  檜原(ひばら)神社は、大神(おおみわ)神社の摂社で、古来山中の磐座(いわくら)を御神体とし

         ており、拝殿も本殿もなく、独特の形をした三ツ鳥居が立つだけです。

          付近は天照大神が伊勢神宮に鎮座する前の宮があった笠縫邑(かさぬいむら)の伝承地で、元

         伊勢とも呼ばれています。

          境内の前を「山の辺の道」が通り、周囲には万葉歌碑も多く、正面に秀麗な二上山を望め、夕陽

         がとてもきれいです。

          この一帯は、檜の原が広がり、杉の木も見事です。

          スケッチは、檜のつもりで描いていたところ、地元の方に杉であることを知らされました。

          ただし、その周りには檜の木が林立していました。

          10月だというのに結構日差しが強くのどが渇いたので、スケッチを終えて、檜原神社の前にある

         茶店「桧原御休処」に入り、抹茶の氷水を飲みました。

          そして、そこの女主人(池田千賀子さん)としばらく話をして絵をおみせしたところ、気に入ってくれ

         是非とも檜原神社を描いてほしいとのことでしたので、11月にもう一度来て描くことにしました。

          すると、店の奥から10月3日(金)付の毎日新聞を取り出し、檜原神社の記事を見せてくれました。

          下の記事がその一部です。A4のスキャナーでは読み取れないほど大きな記事でした。

          新聞記事にもあるとおり、その日も夕陽がとてもきれいでした。

              「訪ね来る 人は静かに 立ち去りて 夕陽が残る 三輪の檜原は」

          11月20日、再度檜原神社へ参り、約束どおり神社をスケッチしました。

          その絵をコピーして送ることを茶店「桧原御休処」の女主人(池田千賀子さん)にお約束したところ、

         富有柿を一箱頂きました。

          その後の彼女からの便りでは、茶店「桧原御休処」にこの絵を展示してくれたそうです。



















          

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自作の歌

訪ね来る

人は静かに

立ち去りて

夕陽が残る

三輪の檜原は

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