旅の思い出:  昔、香具山の麓に、高市皇子(たかいちのみこ)の「香具山宮」があったことは前にも述べたとおりです。

           この香具山宮に、同じく天智天皇の皇女である御名部皇女(みなべのひめみこ)が、高市皇子の妃となり

         住んでおられました。

           高市皇子の夫人として知られる女性は3人いて、一人目が十市皇女(とおちのひめみこ)です。

           高市皇子と同じく天武天皇を父とし、額田王を母とする娘です。

           もう一人が但馬皇女です。これも高市皇子と同じく天武天皇を父とし、中臣鎌足の娘の氷上娘(ひかみの

         いらつめ)を母とします。

           但馬皇女は、前ページでも述べたとおり、高市邸に在るとき、窃かに穂積皇子に接し、穂積皇子との恋愛

         関係が露見してしまいました。

           そして、3人目が御名部皇女です。そこには何らかの事情があって、結果的には、身分を捨ててまでして

         ある男のもとに走った御名部皇女をその後、高市皇子は引き取り正妃として、長屋王をもうけたようです。

           御名部皇女はかつて苦悩した恋愛関係を体験しています。

           「香具山宮」にはこうした女の悲しい物語が秘められているように感じます。

           上記の歌は、こうした当時の女性の心を人麿が代弁して詠ったように思います。

           昔の香具山の周辺は、「埴安の池」が広大に広がっていたのではないかと思われますが、現在は、絵に

          もある通りこの古池が残っているのみです。もっとも、香具山の中腹にも「埴安の池」と呼ばれる小さな池が

          ありますが、これは後から作った貯水池といった感じです。

           ここに描いた古池は、ほとんど水がなく涸れているようですが、地元の方にお聞きしたところ、今年の6月

          頃までは水が満面と広がっていたとのことです。

           前ページでも述べたとおり、こうした池の傍に「香具山宮」があったように思われ、それを頭に浮かべなが

          ら描いています。

           そしてその思いを歌にしてみました。

             「古池の 涸れて昔を 忍ぶらん いづこに問わん 皇子の館は」

         




         

「日並べば 人知りぬべし 今日の日も 千歳の如く ありこせぬかも

                                            (万葉集 2387)

自作の歌

古池の

涸れて昔を

忍ぶらん

いづこに問わん

皇子の館は

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香具山の古池

和歌の意味: 二人の逢瀬が幾日も重なれば、きっと人が知ってしまうだろう。今日という日だけは千年の

         如くに、長くのびてくれないものか。

          

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