「君が目を 見まく欲りして この二夜 千歳の如く 吾は恋ふるかも」

                                           (万葉集 381)

和歌の意味:  貴方は二夜訪ねてこなかった。私は貴方にお会いしたさに、この二夜を千年の

         如くに、貴方を恋焦がれてお待ち申しておりました。

          

旅の思い出:  昔、香具山の麓に、高市皇子(たかいちのみこ)の「香具山宮」があったそうです。

          そこに、但馬皇女(たじまのひめみこ)が異母兄の高市皇子の妻となり住んでおられたようです。

          但馬皇女は秘かに穂積皇子(ほずみのみこ)を慕っていたようで、次の歌を残しています。

          「秋の田の 穂向きの寄れる こと寄りに 君に寄りなな 言(こち)痛(た)かりとも」
 

                                                          (万葉集 114)

           秋の田の穂が同じ向きに向くように、ただひたむきに君に寄り添いたい。たとえ世間のうわさが

         ひどかろうとも。但馬皇女はこの他にも穂積皇子を慕う歌をいくつも残しております。

           一方、穂積皇子も但馬皇女を思う歌を詠っています。

          「今朝の朝明(あさけ) 雁が音聞きつ 春日山 黄葉にけらし あが情(こころ)痛し

  
                                                           (万葉集 1513)

           今朝の夜明けに雁の声を聞きました。ああ春日山は黄葉したらしいが、私の心は痛むばかりです。と、

           更には、但馬皇女が和銅元年(708年)に亡くなってから、幾月か経た雪の降る日に、猪養(いかい)の

          丘にあったという皇女の墓の方を向いて、悲しみ泣きながら次の歌を詠んだといいます。

           「降る雪は あはにな降りそ 吉隠(よなばり)の 猪養の岡の 寒からまくに」

                                                            (万葉集 203)

           雪よ そんなにたくさん降らないでおくれ、恋しいあの人が眠っている吉隠の猪養の丘が寒かろうから。

           私は、こうした仲を人麿が見ていて、但馬皇女の気持ちになって上記の歌を詠ったのではないかと想

          像してみました。

           現在、香具山の周辺は、絵にもある通り田んぼとなっていますが、蓮の花が咲くような湿地帯で、元々

          は、「埴安の池」が広大に広がっていたのではないかと考えています。

           ここに描いた二枚のスケッチは、それを頭に浮かべながら描いています。

           そしてその思いを歌にしてみました。

             「埴安の 池を忍ばん 香具山の 麓は今や 稲の海原」

         









          

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自作の歌

埴安の

池を忍ばん

香具山の

麓は今や

稲の
海原
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香具山入口及び中腹

香具山入口

香具山中腹

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