旅の思い出: 10月16日朝、飛鳥川の畔にある「いかづち橋」を渡った折に、有明の月がくっきりと空に浮か
んでいました。
昔この辺りに、志貴皇子(しきのみこ)が住んでいたようです。
志貴皇子は天智天皇の子ですが、壬申の乱後、天武天皇の皇統が皇位を継承する事となっ
たため、天智皇族であった彼は皇位継承とは全く無縁で、政治よりも和歌等文化の道を歩みま
した。
彼の歌は万葉集に次の6首収められていますが、いずれも繊細な美しさに満ち溢れています。
○ 「石(いは)ばしる垂水(たるみ)の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも」
(万葉集 1418)
(岩にほとばしる滝のほとりの蕨が、芽をふくらませる春となったのだなあ。)
○ 「神(かむ)なびの石瀬(いはせ)の杜(もり)のほととぎす毛無(けなし)の岡にいつか来鳴かむ」
(万葉集1466)
(神のいます石瀬の森のほととぎすよ、毛無の岡にいつ来て鳴いてくれるのだろうか。)
○ 「大原のこのいち柴のいつしかと我(あ)が思ふ妹に今夜(こよひ)逢へるかも」 (万葉集 513)
(大原のこの盛んに繁る「いち柴」ではないが、いつ逢えるか、早く逢いたいと思っていた
あなたに、今夜とうとう逢えましたことよ。)
○ 「むささびは木末(こぬれ)求むとあしひきの山の猟師(さつを)に逢ひにけるかも」 (万葉集 267)
(むささびは梢へ飛び移ろうとして、山の猟師につかまってしまったよ。)
○ 「采女(うねめ)の袖ふきかへす明日香風都を遠みいたづらに吹く」 (万葉集 51)
(采女の袖を吹き返す明日香風は都が遠のいた今は、むなしく吹くばかりだよ。)
○ 「葦辺(あしへ)ゆく鴨の羽交(はがひ)に霜降りて寒き夕へは大和し思ほゆ」 (万葉集 64)
(葦のほとりを漂って行く鴨の羽がいに霜が降って、身にしむほど寒い夕暮は、故郷の大和
がしきりと思われる。)
こうした志貴皇子の自然を見つめる目の中に、恋人や妻に対する同じような視線を感じる歌として、
上記の人麿の歌が、志貴皇子の気持ちを代弁しているように感じました。
そこで、有明の月を見ながら、恋人又は妻と朝を迎えているものと想定してこの場所を描きました。
その時の月の美しさに心引かれて、
「飛鳥川 いかづち橋を 越え来れば 畝傍の山に 月かたぶきぬ」
「赤らひく 膚も触れずて 寝たれども 心を異しく わが思わなくに」
(万葉集 2399)
自作の歌
和歌の意味: ほんのりと赤い肌にも触れないで一人私は寝たけれども、決して私は貴女を恋する気持ち
に変りはないので怪しまないで下さい。