旅の思い出: 昔、人麿の妻が住んでいたという軽の里を尋ねようと、今の大軽の町を訪れました。
軽の里には、当時よく「軽の市」が立って、人目をはばかるほど混雑したそうです。
万葉集207には、妻の里である「軽の道」は人出が多く知れ渡る恐れがあることから、
人知れず恋い続けているうちに、軽の妻が黄葉のようにはかなく散っていったと人づて
に知りました。
そこで彼は、どうしたらよいか分からず、いても立ってもおられず、妻が始終見ていた
「軽の市」へ行ってみたが、妻に似た人は一人も通らないので、大声で妻の名を呼んで
袖を振ってみたと詠っています。
しかしながら、現代の大軽の人々はそのことを知る由もなく、ただただその場には、当
時の丸山古墳だけが残り、何かを語っているように感じました。
丸山古墳は、全長320m、6世紀後半築造の巨大な前方後円墳であり、後円部は陵墓
参考地に指定されているため立ち入り厳禁です。中には、全長26m以上という全国最大
規模の横穴式石室をもっていて、内部には石棺が2つ置かれており、欽明天皇と皇后の
堅塩媛(きたしひめ)の合葬陵といわれています。
ということは、人麿もこの軽の里に来たときは、この古墳を目の当たりに見ているはず
です。その丸山古墳の勇壮さに目を見張るとともに、昔の面影をどこにも見出せないまま
ただただ立ち尽くす自分を感じました。
「軽の里 古へ人を 尋ねども 一人古墳の 前にたたずむ」
「家に来て わが屋を見れば 玉床の 外に向きけり 妹が木枕」
(万葉集 216)
和歌の意味: 久しぶりに家に戻ってきてわが屋を見てみると、妻の寝床にある木枕が外に
向いていました。そこにはもうすでに妻の姿はありません。
自作の歌