「朝影に わが身はなりぬ 玉かぎる ほのかに見えて 去にし子ゆゑに」

                                              (万葉集 2394)

和歌の意味:  ほのかに見えただけで去っていってしまったあのかわいい子に心引かれて、私は朝影のように

         薄ぼんやりした存在になってしまった。

          

旅の思い出:  10月14日、柿本人麿スケッチ紀行4回目の旅の初日は雨でした。

          八釣の里に入る信号を中心に八釣の山麓を描きました。

          稲の穂がしっとりと濡れて、山々が朝影のようになっていました。そこで一首、

             「時雨きて 八釣の山は 煙りけり 稲の実りは 今も昔も」

          二日目は快晴となり、同じく八釣の里の中を描きました。

          この辺りに、新田部皇子(にいたべのみこ)の屋敷があったそうです。

          新田部皇子は、天武天皇の皇子で、母は藤原五百重娘(藤原鎌足の娘)です。

          人麿が新田部皇子に献上した歌とされている長歌とその反歌が万葉集に残っています。

   
           「やすみしし わご大王(おおきみ) 高輝らす 日の皇子 栄えます 大殿(おおとの)

          のうへに
 ひさかたの 天傳ひ来る 白雪(ゆき)じもの 往きかよひつつ いや常世まで」

                                                       
(万葉集 261)

             (わが日の皇子の栄えておいでになる大殿の上に 大空から降って来る真白な雪のように

              しきりにこの御殿にかよい いよいよ年久しくいつまでもお仕え申上げたいものです。)

           「八釣山 木立も見えず 降りまがふ 雪にうぐつく 朝楽しも」        (万葉集 262)

             (矢釣山の木立も見えないほどに降りみだれる白雪の中を馬を早く走らせて御殿に来る朝は

             ほんとうに楽しいものだ。)

         
          柿本人麿の新田部皇子に対するこうした親しげな歌を見ていると、上記の人麿の歌を、新田部皇子に当て

         はめてみるのも面白いと思い、この辺に住んでいた新田部皇子が近くを通り抜けた乙女を見て思いをはせた

         のではないかと想定してこの場所を描きました。
 
          

         








          

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自作の歌

時雨きて

八釣の山は

煙りけり

稲の実りは

今も昔も

明日香村八釣の里
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