旅の思い出:  この絵は、高角山の中腹、「島の星」と呼ばれる場所にある依羅娘子(よさみのおとめ)

         と柿本人麿の像を描いたものです。依羅娘子は人麿が流罪になり、石見の国の「角の里」

         で暫らく暮らした人麿の最後の妻で、地元の豪族の娘でした。

          美人で教養もあったのであろう、万葉集の中に人麿の死を悲しんで詠った次の2首の歌

         が残っています。


            「今日今日と わが待つ君は 石川の 貝に交じりて ありといわずやも」

             (今日か今日かと私が待っていた貴方は、石川の貝に交じっているというでは

              ありませんか。何ということでしょう。)

            「ただの逢ひは 逢ひかつましじ 石川に 雲立ち渡れ 見つつ偲はむ」

             (直接貴方にお会いすることは今やかなわぬことですが、せめて貴方の亡骸の

              沈んでいる石川に雲が立ってほしい、それを見て貴方を偲びましょう。)

          何と悲しい歌でしょうか。石川はどこにあるのか。人麿は、高角山のどこを通ってどこへ

         連れて行かれたのでしょうか。高角山の道は極めて細く不安げな道です。

          ふと次の歌が生まれました。

             「高角の 道はいづこへ 続くのか 人麿偲ぶ 山の細道」

          





        

「夏草の 思いし萎えて 偲ぶらん 妹が門見ん 靡けこの山」

                                        (万葉集 131)

自作の歌

高角の

道はいづこへ

続くのか

人麿偲ぶ

山の細道

島根県 高角山

和歌の意味:  妻は夏草のように思い嘆いて、何時までも門のところに立って私の帰りを待っている

         ことだろう。 妻の立っている門を見たいのだ。平たくなって消えてしまえ、この山よ!

          

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