旅の思い出: この絵は、北淡路の野島漁港を描いたものですが、ここは昔「蚕浦」といっていたそうで、
野島が崎で唯一の舟泊まりがあったようです。
この絵の右手に小さな公園があり、柿本人麿のこの歌が記されたステンレスの表示板が
ありました。
柿本人麿は、この歌をここで詠んだと確信してこの漁港を描きました。
ここへ来る途中、西の沖の方に遠く消えゆく船影が見え、小さな漁船が初夏の日差を浴びて
麗らかに海に漂っているのが見えました。
昔万葉の時代は、播磨灘から西の方は鄙(ひな)と呼ばれ、都からは遠く離れた辺境の地と
みなされていたようです。
ただし、その当時の文化はこの瀬戸内海を通じて大陸から流れて来ました。
そこで一首、
「播磨灘 遠く消えゆく 船影に 鄙(ひな)の長路を 思いやりけり」
さらに、長閑な海を眺めてもう一首、
「北淡路 漁船のひびき うらうらに 初夏の浜辺を 旅行くわれは」
「淡路の 野島が崎の 浜風に 妹が結びし 紐吹き返す」
(万葉集 251)
和歌の意味: 淡路の野島が崎の浜風に、家の妻が結んでくれた旅衣の紐を吹き返させている。
こうして紐をなびかせていると、家に居る妻のことが思い出される。
自作の歌
北淡路
漁船のひびき
うらうらに
初夏の浜辺を
旅行くわれは