旅の思い出:  この絵は、雷丘を畑の中から描いたものです。
       
          雷丘は小さな低い丘ですが、雄略天皇の頃の雷神降臨伝承からきているらしく、雷神が住

         む丘とされています。

          この丘は飛鳥の中心にあり、北へのびる「中つ道」と山田寺から阿倍に抜ける「山田の道」

         の2つの都大路の交差点にあたり、大和朝廷にとって重要な起点であることは間違いないと

         思われます。

          昔は農業が主体で、雨が不可欠であり、日照りが続いた場合は天皇が雨乞いをして雨を

         降らすことが重要な儀式だったことは事実であり、雷神が住むというこの丘が重要な場所で

         あったと思われます。

          だからこそ、人麿もこのような歌を詠うことにより、天皇を神聖化したに違いありません。

          私がこの絵を描いた日の前後の日は晴天で、この日だけ大雨でした。

          私は何か因縁を感じて、次の歌を詠いました。

             「大君は 雷の上に 天雲を 呼びて大地の 恵みとなさん」
          






「大君は 神にしあれば 天雲の 雷(いらか)の上に 庵(いお)らせるかも」

                                       (万葉集 235)

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自作の歌

和歌の意味:  我が大君は神であられるので、天雲の雷の上に仮の庵を作って宮としている。

          天皇は誠に偉大である。

          

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大君は

雷の上に

天雲を

呼びて大地の

恵みとなさん
雷丘(いかづちのおか)
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