「あかねさす 日は照らせれど ぬばたまの 夜渡る月の 隠らく惜しも」
(万葉集 169)
旅の思い出: これは、真弓の岡に建てられた草壁皇子の御陵とされています。
草壁皇子は、天武天皇の子で唯一持統天皇の腹を痛めた一粒種で、皇太子として大切に
されましたが、天武天皇が亡くなられて3年後の689年に夭折しました。
持統天皇は仕方なく自ら即位し、草壁皇子の子の軽皇子が成長するまで天皇の地位を守
りました。
軽皇子は、697年に文武天皇として即位します。 これがいわゆる天孫降臨の思想です。
この絵を描いている間、梅の香りがしていましたが、風も冷たく手がかじかむ状態でした。
ふと、こんな歌が生まれました。
「梅の香に 春は来たれと 思へども 飛鳥の風は 今だ身にしむ」
自作の歌
和歌の意味: 輝くばかりの日は照らしているが、夜空を輪立つ月が隠れるのが惜しいものだ。
日は持統天皇を示し、月はなくなられた草壁皇子を指しており、こうなっては持統
天皇が即位するより仕方がないことを万民に知らしめす意図があったようです。