「たらちねの 母が手放れ 斯くばかり 為方なき事は いまだ為なくに」
(万葉集 2368)
自作の歌
和歌の意味: 母の手を離れてから、これほどにどうしようもなくやるせないことは、未だ一度も
経験がなく、なんとも苦しいものです。
旅の思い出: 私はこの歌を聞いて人麿が大伯皇女の気持ちを歌ったのではないかと思いました。
大伯皇女は前のページでも言ったとおり、伊勢神宮の斉王として送られたため、結婚するこ
とができず、41歳の若さで亡くなられています。
大津皇子への思いもあったであろうし、好きな人ができたとしても口にさえすることがはば
かられた状況にあって、さぞかしつらい人生を送られたことと思われます。
その様子は、人麿もよく承知していたことであっただろうと思います。
私は人麿が秘かに彼女の思いを歌ったのではないかと考えてみました。
大伯皇女は伊勢神宮へ行くまでは、大津皇子の訳語田(おさた)の宮に住んでおられたと思
われますし、大津皇子の死後、大和に戻されていますので、やはりこの訳語田の宮に置かれた
と思われます。
ここからは、大津皇子の墓がある二上山が正面に見え、大伯皇女は次のような歌を万葉集
に残しています。
「うつそみの人にあるわれや明日よりは二上山を弟世(いろせ)とわが見む」
その訳語田の宮は今の桜井市にあったそうですが、その近くに安部文殊院があったので、
何かの因縁を感じて描いてみました。 そのとき池の鴨が立ち騒ぎ、ふと大伯皇女の面影を感じ
て一首詠ってみました。
「ありし日の 大伯皇女の 面影に 文殊の池の 鴨立ち騒ぐ」
ありし日の
大伯皇女の
面影に
文殊の池の
鴨立ち騒ぐ