よ ひな
「草の戸も 住替る代ぞ 雛の家」
俳句の解説: 旅立ちに当たり、芭蕉は深川の芭蕉庵を人に譲ることにしました。
女気のなかったこの草庵に新しく移り住む人は、孫むすめがいることから、
桃の節句も近いので、雛壇が飾られるだろう、ささやかなこの草庵にも人の
世の移り変わりが認められるとの感概を詠んだ句であります。
旅の思い出 : ここ隅田川と小名木川の合流地点に芭蕉庵があったとのことで、スケッチの右上
に芭蕉像がある芭蕉庵史跡展望庭園を描きました。
元禄2年(1689年)旧暦3月27日(陽暦5月16日)46歳で、芭蕉はここ深川を船出して
隅田川を上り、千住へ向い千住大橋を渡って日光街道を北上し奥羽へ向いました。
私も同日5月16日にここ深川でスケッチした後、芭蕉の足跡を追って奥の細道ス
ケッチ紀行に出立しました。その折に芭蕉の船出を思い浮かべて1句浮かびました。
「若葦の 川面分けたる 船出かな」
自作
若葦の 川面分けたる 船出かな