山頭火は、明治15年に生れ、昭和15年に58歳で亡くなっていますが、
山頭火の心の漂泊のきっかけになったのは、母の自殺である。
10歳の正一少年(後の山頭火)は、井戸から引きあげられ、髪を乱し、
お岩さんのようになった母の姿を見ている。
さらに、大正5年34歳の時に、種田家破産、父竹治郎は行方知らずとなり、
一家離散し、山頭火は妻子を連れて熊本へ移住している。
そして、大正13年12月、42歳の時に、山頭火は酒に酔い熊本市公会堂
前で進行中の市電に立ちはだかり、急停車させるという事件を起こした。
大正14年2月、報恩寺(曹洞宗)にて出家得度し、同じ年の3月に熊本県
植木町にある味取観音(曹洞宗瑞泉寺)の堂主として赴任します。
その後は、禅僧として新たな生活が始まるとともに、心の漂泊の旅が始まる。
滞在場所及び旅の繰り返しは、生まれ故郷の山口県、九州をはじめとして、
中国地方、四国地方、中部地方、北陸・東北地方にわたり、北陸・東北の旅は、
別添「北陸・東北の旅スケッチ紀行」に示す通りです。
山頭火スケッチ紀行へようこそ
昭和11年(1936年)、山頭火54歳、3月5日に、門司港から
ばいかる丸に乗って神戸に向かい、そこから大阪〜京都〜
伊賀上野〜伊勢神宮〜浜松〜鎌倉〜東京〜伊豆〜甲州路
〜信濃路〜柏原〜新潟〜山形〜仙台〜平泉を訪ねて、
帰りに福井の永平寺によって修行をして戻る4000キロの旅、
その足跡をたどって描いた「北陸・東北の旅スケッチ紀行」を
紹介致します。