黒川温泉から大宰府へ行き、大宰府政庁跡に残った礎石をじっと見ていると、同じ時期に大友旅 人が大宰府の帥(そち)として、山上憶良が国守として赴任し、大宰府歌壇ともいうべき万葉の一時 代を作ったことが思い出されます。 また、菅原道真が大宰府の権帥(ごんすい)として左遷され、失意のうちに2年後にこの地で亡く なったことを思い、1句浮かびました。 そち 「青によし 礎石に浮かぶ 帥の影」