かて むか
野に身をさらし、自然の息吹を吸い込み、それを糧として風、月、花の心を知りて無何
に入る、これすなわち、人の心に吹き騒ぐ感動の源なり
秋十月、そぞろ寒げなる風が吹く深川を出発して
「秋風や 身にしむ色に なりにけり」
旧箱根街道二十四里塚にて、幹のように太い枝が物の見事に伸びる杉並木を見て
「空高く 大蛇のごとし 杉並木」
水神神社から急流の富士川をのぞみて、昔急流に呑まれて亡くなられた旅人の冥福を
祈りて
「水神に 祈りて秋の 富士の川」
ほうらいばし
蓬莱橋の袂に咲くコスモスの花を見ながら、大井川の流れが四季折々に変化することを
聞きて
「コスモスと 四季流れゆく 大井川」
金谷の民家の片隅で車中泊し、何やら嵐の前の静けさのような夕凪に仕切りと鳴く虫の
音を聞きて
なぎ
「凪渡る 旅寝の里の キリギリス」
翌朝、大雨にたたられた小夜の中山にて
「旅に寝て 嵐月なし 小夜の里」
二見ケ浦にあったという西行谷が埋め立てられていく中で、埋め残った場所に西行が好
んだ萩の花が咲いているのを見つけて
「埋めのこる 西行谷に 萩の花」
吉野の山中にて車中泊し、酒を飲みつつ山の端に照る月を眺めて
「いにしえの 月をめでたる 吉野山」
「山の端の 心うかれし 月夜かな」
吉野から関が原まで一気に車で移動し、吉野で見た月と同じ月を見て
ふ わ
「吉野路を はなれて遠き 不破の月」
ぼくいん
大垣の木因の住居跡を訪ね、その面影は跡形もなく、その前を流れる水門川に月が映る
のを見て
「人知れず 川面を照らす 月の影」
冬十二月、早朝の凍てついた空に細い月がかかり、夜明けまで桑名の赤須賀魚港で白魚舟
い び
の出漁を待っていた折に、揖斐川河口の冬景を見つめて
しらおぶね
「澄みわたる 下弦の月や 白魚舟」
「月一寸 白魚を待つ 夜明けかな」
「あけぼのや 潮風わたる 浜千鳥」
熱田神宮にて木に結ばれた古びたおみくじを見て
さかき た む
「年の瀬の 小枝榊の 手向けぬき」
熱田の宮の渡しの風の冷たさに、身震いしつつ絵を描きて
「肌を刺す 川風白し 宮の浜」
年の瀬に、底冷えのする伊賀上野の空にどこからか聞こえてくる鐘の音に心誘われて
「冬ざれの 鐘もわびしき 旅の空」
年末に伊賀上野からの帰宅途中に、富士市の東名高速から冬晴れの富士をのぞみて
「山並みに 浮き立つ富士や 年の暮」
三月十二日から十三日の早朝にかけて、東大寺二月堂のお水取りを見て
「凍りつく 顔に灯が照る お水取り」
「水取りや ともし火凍る 僧の影」
奈良の里で、何処からか梅の香りが漂ってくるのをふと感じて
「古への 梅の香りが 風となり」
「ブランディと つぶ貝うれしや 春の月」
伏見の桃山城で、満開の桜と赤紫色の桃の下にて
「花照るや くれない匂う 桃の花」
芭蕉が「山路来て 何やらゆかし すみれ草」と歌ったあのすみれの花を、逢坂近く
の小関越え入口で見つけて
「山すみれ 見つけてほっと 息をつく」
小雨降る唐崎にて、聳え立つ唐崎の松を眺めて
「唐崎の 松はおぼろに 春の雨」
帰り道、中央高速の甲府西にて薄っすらと浮かび上がる富士を見て
「薄ごろも 春がわきたつ 富士の嶺」
夏六月、名古屋へ向かう折、八王子の中央高速入口にて、明け方のぼんやりと霞んだ月をみて
「雨止みて そっとほほえむ おぼろ月」
亀山付近の麦畑の前で、麦秋の雨にじっと佇んで
「小雨降り 静かに語らう 穂麦かも」
風が吹き始め、麦穂が大きくたなびく姿を見て
「風なびく 穂麦の言葉 聞くここち」
う いしやくし
卯の花の町、石薬師にて初めて卯の花の香りを知って
「卯の花の 匂いを拝む 石薬師」
静寂の森、熱田神宮にて街中の車の音が木々の中に吸い込まれていくような気がして
もり こしたやみ
「楠の杜 音のしみ込む 木下闇」
雪が残る八ヶ岳の麓の牧場にて、馬が麦を食べる姿を見つけて
「駒の里 はだれ残りし 八ヶ岳」
最終地、深川に到着して、長かった旅の思い出を思い浮かべて
「深川に 戻りて旅の 夏衣」
野ざらしスケッチ紀行中に創作した私の俳句を紹介します