あらゆる人間にとって、存在は自我から出発する。
自我があるから存在を認識することが出来る。
生きるとは、自我を表現することである。
自我の表現は、自我の行動の結果であり、生きた証である。
その証には、偉大な証もあればつまらぬ証もある。
偉大な証は人に満足を与え、つまらぬ証は人を傷つける。
私は、少なくとも満足のいく自我を表現したい。
生き生きと生きるのは自我次第である。
結局、人間は自分に都合のいいように考え、自分の思い通りに生きて、
死んでいくに過ぎない。
これを称して、「自我自傷、自我自足」という。
何も残らない。そして土に戻る。それだけのことである。
平成23年5月