仏教は「生きるための哲学」であり、決して「死のための哲学」ではない。
お経は生きている人に対するアドバイスである。
自分の目の前で起きたこと、又はこの世のすべてのものは、固定不変な実態のない
仮のもの、一時的なもので、「空」と呼ばれるものであることを明確にしっかりと認識す
る必要がある。
したがって、目の前で起きたことやこの世のすべてのものにとらわれない生き方が求
められている。
これは、お釈迦さまが、菩提樹の下で悟られたもので、「人の生き方」、「人の心の存在」
を明らかにしたものである。
これは、仏教の「三法印」という教えである。
世の中の仕組みや人の心の成り立ちは、次の三つの法則から成り立っています。
@ 諸行無常: この世に変わらないものはなく、すべてが移り変わっていく
A 諸法無我: この世に固定不変な実態はなく、因と縁がそろっている間だけとどまって
いるが、因縁が離れれば、別の形となる。
B 涅槃寂静: 苦しみが滅して救われた世界で、煩悩(欲、怒り、愚痴など)がなくなった
安らかな心の状態
人間は、脱ぎ捨てることができない「心」というものをもち、移り変わっていく世の中を生きて
いかざるを得ないのが現実である。
その中で、人は幸せを求め、欲しいものを手に入れようとする。
それはすべて「無明の闇」である心の為す業であり、「煩悩」に悩まされ、「不安」を生み出す。
この「心」をうまくコントロール出来れば、精神を安定させ、不安を解消することができる。
逆にコントロールを間違えば、不安に襲われ、恐怖心が生まれ、精神が不安定になる。
そこで、お釈迦様は、「煩悩即菩提」の教えを提唱されて、「煩悩があるままで、究極の幸せを
得る方法」を導き、人の心の問題を解明した。
人は「煩悩」を断ち切ることができれば幸せになるのだが、どうしても「煩悩」を消すことができ
ないのも事実である。 そこで、煩悩をもったまま幸せにする方法を考え出したのである。
「煩悩即菩提」の事例として次のようなものがあり、心をうまくコントロールすることにより、幸せ
な人生を送ることを推奨した。
@ 山奥の苦難な通学路で、隣の家に美少女が引っ越してきて、毎日一緒に通うことになり、
どんな苦労もいとわずに、学校へ通うようになったこと。
A 好きな相手と苦労を共にしてみたいと思える状況に至ること。
B 己の才能や能力が信じられるようになり、積極的に行動を起こす状況に至ること。
C 人に褒められたり認められることにより、嬉しくなり行動を起こす状況に至ること。
これらはすべて欲であり煩悩であるが、その中から幸せの糸口を得たり、苦労をものともしない
状況になります。
これがまさに人生の目的であり、人間の幸せを生み出す究極の生き方である。