佐藤得二氏を悼む詩

 佐藤得二氏は、2004年10月2日、享年59歳の若さで亡くなられました。

 佐藤さんは、気仙沼近くの本吉町で生まれ、今は自分が卒業した高校の校舎が見える
丘の上に眠っています。

 今から40年前に、佐藤さんはその高校をトップで卒業され、勇躍東京を目指して上京し、
厚木の米軍基地で働いている時に、私は佐藤さんと知り合いました。

 当時、共に19歳の若さで、人生とは何か、宗教とは何か、芸術とは何かを、小さな喫茶
店の片隅で論じ合っていました。

 佐藤さんは博学な方で、現代英語は無論のこと、中世の英語をらくらくと読みこなしており
ました。

 私は佐藤さんに多くのことを学び、自分で考えることのすばらしさを知りました。

 特に、小林秀雄氏の著書を読んでは、その難解というよりも底深い文章の意味を教えて
くれました。

 私は佐藤さんを通じて、文学、音楽、絵画のすばらしさ、さらには哲学、古典の楽しさを知
りました。

 その後、2年後にはそれぞれ別の人生を歩みだし、40歳頃まで暇を見ては論じ合ってい
ましたが、共に忙しくなって音信が途絶えがちとなり、55歳頃には年賀状程度で、ほとんど
連絡をしませんでした。

 知らせがないのは元気な証拠だと思い、そのままでおりましたが、突如今年の1月に親族
の方から連絡を受け、昨年の10月に亡くなられたことを知りました。

 私にとりましては、その寂しさは途方もないもので、早速墓参りに参りましたが、すでに石
の下でございました。

 佐藤さんは、一生独身でしたが、勉強することが趣味のような人で、あらゆる分野の本を
読んでおられました。

 彼の蔵書はとてつもない数で、親族の方にお聞きしたところ、蔵書の一部を町の図書館
に寄付したそうです。

 佐藤さんは、アメリカとイギリスの船会社に勤務され、定年を迎えるや否や永遠の人となり
ました。

 若い頃に定年を迎えたら色々と研究しようと話し合っていただけに、その無念さは尽
きることがありません。

 本人の気持ちを考えますと、癌の告知を受けたとき、どんなに無念だったことか、想像を絶
する思いが致します。

 彼の冥福を祈る為、彼の戒名を頂き、我が家の過去帳に書き加え、毎日心の中で拝むこ
とに致しました。

 思い出は尽きることがありませんが、以上が、私と佐藤さんとの出会いでございます。
 

 私は、ここに佐藤さんが亡くなられた前後に詠んでいた句を捧げて、佐藤さんの冥福を祈り
たいと思います。

 なぜかと申しますと、佐藤さんが亡くなられる前後の私の詠んだ俳句を読み返して見ますと、
佐藤さんが亡くなられたことを私自身は知らなかったにもかかわらず、虫の知らせのように、
私に伝えてくれていたように思われるからです。

 佐藤さんが亡くなられたのは昨年の10月2日ですが、9月19日の詩に

    「カーテンの 裾をたゆらす 秋の風」

 9月20日に

    「彼岸花 垣根の外に 人の影」

 9月24日、

    「垂れこめる 雲わびしけり 草の花」

 9月25日、

    「古酒に読む 今日の命の ありがたき」

 その頃私は、やけに古典が読みたくなって、その日一日中、万葉集を読んでいて、夕暮れ
近くに酒を嗜みながら、この古典を読みあさっていました。
 今思えば、佐藤さんがそばに来て、古典を読め読めと私にしきりに進めてくれていたように
思います。
 古典の楽しさを知って、おいしい酒を飲みながら今生きている命の大切さを私に伝えてくれ
たように思います。

 9月30日、

    「秋の声 丑三つ時の 嵐かな」

 10月2日当日、

    「イチローの 快挙を祝う 菊日和」

 これは、佐藤さんの開き直りのように思います。
 彼は、つまらぬことに執着することがなく、どんなことにも寛大な人でした。
 一見、佐藤さんの死を喜んでいるような句に思われるでしょうが、佐藤さんの最後の気持ち
を表していると思い、ここに掲げました。
 この日は、イチローがアメリカ大リーガーの年間最多安打(259本、84年ぶり)の新記録を
樹立した日であります。
 もし、佐藤さんがこれから少なくとも10年長生きしていたとしたら、文学評論又は哲学の中で
これに匹敵するような新発見をしていることと思います。

 10月5日、あとで知ったのですが、この日に葬儀が執り行われたそうです。

    「寝覚め聞く 秋雨深し 闇の音」

 10月7日、

    「道の辺の いなごばったよ 影もなし」

 10月9日、

    「風神や 一吹きごとに 夜寒かな」

 10月12日、

    「原沼の 水のさびしき 霧時雨」

 10月13日、

    「朝ぼらけ 心かなしき 秋の雨」

 10月17日、

    「縁側に いつしか秋の 枯れとんぼ」

 これは不思議なことに、朝雨戸を開いた時に、からからに乾いた赤トンボが、縁側の雨戸
の影に全く完全な姿でとまっておりました。
 私はこれを佐藤さんの化身と思って大事にしています。
 互いにしばらく音信不通だったことから、最後に宮城県の本吉町から15日間かけて飛ん
できたと信じております。

 今年の1月29日に佐藤さんの墓参りに参りました。
 よく晴れた日で、佐藤さんの普段の気持ちを表しているように思いました。
 気仙沼は魚のおいしいところで、佐藤さんが私に食べさせてやりたいとよく言っていたの
で、途中、気仙沼によって港の近くの寿司屋で、一人平目の刺身とアンコウの肝を食べて、
ひそかに彼との別れの杯を交わしました。

 佐藤さんの墓の前にて

    「冬晴れや 友は帰らず 石の中」

 気仙沼の寿司屋で

    「舌つづみ 平目あん肝 友の郷」

 以上の句を佐藤さんのご霊前に捧げ冥福を祈りました。

 

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