5月22日午前10時羽田空港を離陸、一路那覇空港へ向けて飛び立ちました
 雲海の上には一部雲の嶺が見えて、遠い那覇の海が目に浮かびました

 
      「雲の峰 翼は遠く 那覇の海」

 5月22日午後、王朝の墓である玉陵(たまうどん)を見に行きました
 那覇は梅雨に入り、小雨交じりで墓室も敷き砂もしっとりと濡れてもの悲しく、
踏む足音だけが陵内に響き渡っていました 

                          たまうど
    
「梅雨空や 白砂きしむ 玉陵」

 5月22日午後、玉陵(たまうどん)の次に首里城を見に行きました。
 雨も止んで薄日がさしてきました。何やら蒸し暑さが加わって、那覇の暑い夏の
音連れを感じました。薄日が首里城の赤い屋根にかかるのを見て

    
   あかがわら                 しゅりぐすく              
    
「赤 瓦 陽ざしは初夏の 首里城」

 
5月23日午後、知念村にある斎場御嶽(さいふぁうたき)に行きました
 ここは、琉球王国最高の聖地で、王朝貴族の人々が神に祈る場所として最も神聖視され
た処です。ここでは静寂の中でしきりとホトトギスが鳴いていました。
 
    
「鳴き止まぬ 森の聖地の 不如帰」 

 5月23日午後、知念村にある斎場御嶽(さいふぁうたき)の後に新原ビーチへ行きました
 ここは、珊瑚礁が広がり、海底には色鮮やかな熱帯魚が回遊して、夏の暑さがもうすぐ
やってくるといった印象でした

 
    「初夏青く さざなみ歌う 珊瑚礁」


  5月23日夕方近く平和記念公園へ行きました。
 日はやや傾きはじめましたが、日本の南西に位置するだけに日は長く快い陽ざしと南風が
渡って来ました
  南海を遠く望み、海岸線に長く続く断崖絶壁を見ていると、平和を祈らずにはいられません
 

     「波遠く 祈る心に 南風」

 
5月23日夕方近く平和記念公園の後に、ひめゆりの塔へ行きました
 日は傾きはじめ、辺りが静まりかえって人っ子1人おりませんでした
 太平洋戦争で最後の最後まで傷ついた人々の看護に奔走した若い乙女達の気持ちを考え
ますと、深い悲しみと共に平和のありがたさを痛感いたします

  
   「早乙女の 悲しみ深し 百合の塔」

             きやぶ
 
5月23日夕方ついに日の沈む頃、喜屋武岬に立ち寄りました
 国道331号線からはずれて、広い畑の真ん中を通る一本の細い道路をひたすら海をめが
けて南へ南へと車を走らすと、断崖絶壁の上に小さな広場がありました
 ここは、沖縄本島最南端に近く、じっと夕陽を見ていると、だれもいないような錯覚に陥り、
どこかもの悲しい思いにひたりました
 

   「春暮れて 悲しさ告げる 岬かな」

   
  5月24日朝早く、那覇のホテルを出発し、沖縄自動車道を使って北へ向かいました
 2時間で本部町にある海洋博公園に着きました
  春になると、燃えるような紅いデイゴの花が咲きます
  それは、会えぬ人を待つかの如く、身も焦がれる思いを伝える沖縄の花です

  
                            ちゅ
     「焦がれつつ 燃ゆるデイゴか 美らの海」

 
美(ちゅ)ら海にはエメラルドビーチと呼ばれる美しい白浜が広がっています
 近くには赤い清楚なハイビスカスの花が咲いていました
 それを見ると、沖縄の美人(カムシャマヨ)がその赤い花を髪に付けて現れてくるようです

 
   「黒髪に ハイビスカスの カムシャマヨ」

 
今帰仁(なきじん)城は1609年に薩摩軍による琉球侵攻にあい、炎上し廃墟と化しましたが、
その後は「御嶽(うたき)」として琉球社会の精神的なよりどころとなっているそうです
 石積みの城壁に立って見わたせば、当時の兵どもが戦った面影が夏草の絶えない山河の中に
よみがえってくるようです

 
   「今帰仁の 夏草深き 石堤」

 今帰仁(なきじん)城跡を見た後、国道58号線を南へ下り、万人が座するという万座毛の岩へ行
きました
 嵐の時の高波と海の潮風に浸食された万座の岩椅子が透き通った海に突き出ていました
 岩椅子の間をくぐる潮風が心地よく顔に当たります

                     いわな
     「さざなみの 寄する岩穴に 初夏の風 」

 5月24日午後4時、最後に珊瑚礁を見たのは那覇空港上空でした
 那覇を発つとき、足早に沖縄を去る思いと、美しい珊瑚礁を残す思いに寂しさを感じ、心地よい
沖縄の初夏が過ぎ去っていく思いを心に秘めて


     「また見んと 願う珊瑚や 夏の海」

 平成16年5月に旅した沖縄の旅の中で私が創作した俳句を紹介します

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