更科スケッチ紀行中に私が創作した俳句を紹介します

 昔、西行法師の歌に「都にて月をあわれと思いしは数にもならぬすさびなりけり」
と詠めしをそっと心に刻みて、月影の壁の破れより木の間隠れにさし入れし更科の
月を求めけり。

 山の端よりいでし月のさやかさに心奪われ共寝をしたり。
 姨捨山の月明かり、古人を思う山の陰、ひしひしと伝わる山の寂しさを月影そっと
包みけり。

 只々月の哀れさを一人わびしく味わいにけり。


 更科紀行の出発地、鵜沼宿にて

     
  「鵜沼宿 そぞろに秋の 柳風」

      「信濃路へ 心を誘う 美濃の秋」        
  

  翌朝、木曽福島付近の三岳にて

       
「山里の 虫の音涼し 木曾の朝」       

 木曾の桟にてスケッチをしつつ

       
「石に座し 見上げし心 天高し」         

 木曾福島付近の山を散策して
                            
       
「霧深き 木曾にすずろな 虫の声」

     「山がらと かけすかけ合う 木曾の里」

     「山辺の コスモスゆかし 石地蔵」

      
 

 奈良井宿を散歩していると、旧中仙道の杉並木の先に二百体の地蔵を祭る地蔵尊を
見つけて

      
  「里の秋 静かにねむる 地蔵たち」        

 鳥居峠にて、栃の木群をスケッチしつつ

      
 「栃の実の ばさりばさりと おどしけり」 

 麻績(おみ)宿の法善寺にて、見事な女郎花を見て

      
  「たおやかに 風にそよぐや 女郎花」
      
 更科の里、姨捨の長楽寺にて、満月の四日前の月を見て

       
「山の風 月は雲間に 這い出でて」
         
 同じく長楽寺にある岩山(姨捨山)で、五年前に観光に来たお年寄りが岩から
落ちて亡くなられたことを聞いて

      
 「姨捨や 老い行く死出の 月見かな」

 長楽寺の駐車場で、只一人待宵月を眺めて
     
       
「待宵の 棚田の実り 月青し」

        「更科や 月をこの目に 焼き付けぬ」

 九月十八日の十五夜の日に、長楽寺にて姨捨のお神楽を見て

       「姨捨や 足ひょいひょいと 月神楽」

 同じ日に、姨捨の蕎麦を食して

       「そば処 すすきに月の みやげ哉」

 その晩、じっくりと名月を眺めて

       「月は今 皓々と 浮かびけり」

     「名月を 取りて目に焼く 姨の里」

     「更科の 月を見つつや 夜もすがら」

 坂城の十六夜観月殿にて、三夜に渡るくまなき月を見て

       「三夜とも まん丸月夜 雲もなし」

 昔、この地に流された源顕清(もときよ)が都にある月を思い浮かべて心を慰めたと伝えられる
この月見堂も今は満月の日に月を見に来る人もなく忘れ去られていくのを悲しく思えて


     「十六夜の 月もかなしき 古堂かな」

 小諸の布引にて煙立つ浅間山を全貌して

       「浅間山 畦にコスモス そばの花」

     「だてかぼちゃ 浅間の土の 匂いかな」

     「コンクリに イナゴはいでる 真昼かな」

     「天高し 雲の笠着る 浅間山」

 

   

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