九州のほとんどが山に覆われ、山又山の旅でした
  そこには神が住み、大きな火口を開いた大地の底を覗かせ、大自然が天の恵み
 を人間に与えてくれているように見えてきました。 

  4月28日、桜島を見ながら、フェリーで大隅半島から薩摩半島へ渡りました。
  桜島は、春の陽ざしに反射して岩肌がさくら色に輝いていました。

    
     
春うらら ピンクに燃える 桜島  

  先ずは 薩摩藩の武家屋敷があると聞いて、知覧へ向いました。
  武家屋敷はマキの垣根に囲まれ、静寂が漂い、鶯がしきりと鳴いていました

マキ垣に うぐいすの声 国屋敷

 
 知覧(ちらん)から池田湖と開聞岳(かいもんだけ)を見ながら指宿(いぶすき)に
 入りました。
  指宿では有名な砂風呂へ入って一泊し、翌朝早く立って、霧島へ向いました。
  よく晴れていて途中の山間から鹿児島湾を望むと、遠く大隅半島が霞んで見えました。


     
船遠く 大隅浮かぶ 春霞

  船引く潮路が段々と薄れていくのを見ていると、春の淡くはかない水泡のごとく、
 人の命のはかなさを感じて、

     
わが命 船引く春の 潮路かな

  霧島では霧島神社にお参りして、天照大神の孫・瓊瓊杵尊[ニニミノミコト]が高天
 ケ原から、この山に降りて天の逆鉾(さかほこ)を立てたという伝説が残っている高千
 穂の峰を見上げました。
  夏になると、登山口である高千穂河原には、遊歩道周辺にミヤマキリシマが群生し、
 多くの小鳥が囀りあうそうです。

     花誘う 霧島の峰 鳥の声

  霧島から宮崎県の高千穂峡へ向いました。
  山を越え
谷を越えて5時間走り続け、ようやく高千穂峡へたどり着いたのは午後4時ごろ
 でした。
  薄暗い高千穂峡を散策しましたが、緑濃く水清らかな素晴らしいところでした
     
     
谷深く 鶯鳴きて 藤の花

 
 夕方6時ごろに国見の丘に登りました。
  木々は青々として、山々は遠く霞み、広々とした国原が広がっていました。

    
あきつしま 群山かすむ 国見かな

  翌朝早く天岩戸(あまのいわと)へ向いました。
  新緑が朝日に照らし出されて美しく輝いていました

新緑や 天岩戸の 日の出かな
 

  天岩戸から阿蘇山へ向いました。
  深い火口に立ち上る煙や広々とした大地を見ていると、何か神がお作りになった神の
 住みかのように思えてきます


    
風薫る 阿蘇の台地に 神の顔

    遥かなる 阿蘇の春山 神の里


  阿蘇から湯布院に向いました。昼食をとった後、由布岳を見ながらゆっくりと湯に漬か
 りました。どこからかタンポポの綿帽子が飛んできて湯の表面に湯の花のように広がりま
 した。

     
湯布院の 湯の花ゆかし 綿帽子

  湯布院から別府へ向かい、血の池地獄を見ました。地の底の動きを目の当たりに見るよ
 うな思いがしました。

     
緑濃き 大地の底に 血の地獄

   夕刻、別府の海に闇の帳がおりて、フェリーの明かりだけが静かに動いていきました。

     
春の闇 フェリーの灯り すべりゆく
        
  別府で一泊し、翌朝早く出発して黒川温泉へ向いました。
  黒川温泉では、入浴手形を買って露天風呂巡りをしました。
  岩風呂を囲む若葉がゆらゆらと風に揺れて、湯面に映る若葉の緑が湯の流れに乗っ
 て静かに揺らいでいました。

     
岩風呂に 映る青葉の 若さかな

  黒川温泉から大宰府へ行き、大宰府政庁跡に残った礎石をじっと見ていると、同じ
 時期に大友旅人が大宰府の帥(そち)として、山上憶良が国守(くにもり)として赴
 任し、大宰府歌壇もいうべき万葉の一時代を作ったことが思い出されます。
  また、菅原道真が大宰府の権帥(ごんすい)として左遷され、失意のうちに2年後に
 この地で亡くなったことを思うと、生々しく彼らの姿がそこに現れてくるような思い
 に浸ります。
                 
                 
        そち
     
青によし 礎石に浮かぶ 帥の影

  最後に、大宰府天満宮に参りました。
  天満宮の中にある大樹を見ていると、道真の偉大さを肌で感じます。
  そしてその側に咲いていた可憐な藤の花を見たとき、道真の繊細さを感じました。

     
道真の 大樹の影に 藤の花






 平成16年のゴールデンウィーク中に旅した九州縦断の旅の中で私が創作した俳句を
紹介します.。

九州縦断の旅発句集
短歌・俳句紹介へ戻る